2024年秋以降、名古屋市の中心部で計6発の不発弾が相次いで見つかった。戦後80年。眠っていた不発弾は私たちに「戦争は終わっていない」というメッセージを発信しているのかもしれない。
6発の不発弾は、昨年10月から今年6月にかけて見つかった。このうち中区丸の内2で発見された5発は、250キロの大型焼夷(しょうい)爆弾で、米軍が第二次世界大戦末期の名古屋大空襲で投下したものとみられる。発見場所となった三つの工事現場では、ビルの建て替えに伴う解体作業や基礎工事が行われていた。
米軍資料を読み解くなどして、名古屋大空襲を調査する東海中学・高校非常勤講師の西形久司さん(67)は、こう解説する。
米軍は1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに各都市への無差別爆撃を開始。木と紙でできた日本家屋を焼き払うために開発した焼夷弾「M69」を大量にばらまいた。
M69は、束ねられた38発が、投下中にばらける仕組みになっている。屋根を貫通して畳に突き刺さると、ゼリー状の油が飛び散り、燃え広がる。家屋内にとどまり地中にめり込まないため、不発弾として見つかることは「まずない」。
破壊力高い「M76」
陸上自衛隊によると、見つかった不発弾5発はM69よりも大きくて破壊力があり、そのまま地上に着弾する焼夷爆弾「M76」だった。西形さんは「丸の内周辺の土壌が柔らかかったため、地中に潜っていた」と推測する。
名古屋への爆撃は繰り返し行われ、3月19日に名古屋駅が炎上、5月14日には名古屋城が焼失した。
名古屋市史や西形さんによると、M76が使われた理由はこうだ。
東京大空襲で、米軍は主にM69を使用。約10万人が犠牲となり、焼失家屋は27万戸以上にのぼった。
2日後の3月12日、名古屋を爆撃。この際、東京の時よりも多くのM69を使用したが、想定通りの効果を得られなかった。その後、大阪、神戸への空襲で大量のM69を使い、数が少なくなっていた。
そこで、再び名古屋を爆撃した3月19日は、破壊力が高いM76などの焼夷爆弾を多く使った。
この日、1974発のM76が投下され、死者は826人にのぼった。見つかった不発弾5発はいずれも、この日に使われたものとみられる。
防衛省によると、昨年度の不発弾の処理件数は1273件にのぼり、名古屋市のように市街地で見つかったケースもある。
高層の建物建設では、地中深くの硬い地盤に建物を支える杭(くい)を打つ工事が必要となることが少なくない。名古屋市内では近年、高層のビルやマンションの建設が増えている。地中深くに眠った不発弾は今後も見つかる可能性が高い。
撤去作業では、周辺住民の避難や交通規制が行われ市民生活にも大きな影響が出た。
西形さんは、「80年たっても、戦争は終わっていない。不発弾は『爪痕は残り続ける』とのメッセージを伝えているのではないか」と話す。【酒井志帆】
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