才能か、血筋か−という歌舞伎界の相克を描く映画「国宝」の興行収入が110億円を突破し、吉沢亮さん演じる主人公、喜久雄のような「門閥外」の歌舞伎俳優への関心が高まっている。今月、東京・浅草公会堂で行われた国立劇場養成所の歌舞伎俳優研修修了者らによる公演は、4日間の興行がほぼ満席。〝未来の喜久雄〟はどのように生まれるのか。
ファンであふれ
浅草公会堂で17日に千秋楽を迎えた「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」は、歌舞伎の血筋を引かない門閥外の俳優だけが出演する毎年恒例の舞台だ。今年は義太夫狂言「双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記 引窓」と舞踊「棒しばり」「勢獅子」が上演され、一般家庭出身、平均年齢28・7歳の計20人が出演した。
「引窓」の南与兵衛役に抜擢された中村蝶也さん(22)は、色白の美青年。養成所出身で、現在は人間国宝、中村歌六さん門下で学ぶ。大舞台を終え、「師匠と皆さんのお力をお借りし勤められた。今回が最後にならないよう頑張りたい」と表情を引き締めた。
終演後、劇場ロビーは出演者を囲むファンであふれ、40代の会社員女性は「普段は(脇役で)声を聞けない俳優に、実力があると実感した」と満足そうに話した。
映画のヒットは歌舞伎の殿堂、東京・歌舞伎座にも波及。公開された6月以降、運営する松竹は「日に日にチケット販売実績が上がった」「本物の歌舞伎を見たくなったとの投稿も多数みられ、反響の大きさを認識している」としている。
今年の募集は10月から
一般家庭から歌舞伎俳優になるルートは、①子役などを経て幹部俳優に直接弟子入り②国立劇場養成所の研修を経て、幹部に弟子入り―の2つに大別される。
人間国宝の坂東玉三郎さんは前者で、6歳で十四代目守田勘弥に弟子入りし、後に養子となった。映画の喜久雄もこのパターンだ。一方、養成所出身者には、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」などで師匠、二代目市川猿翁(えんおう)の相手役を数々演じた市川笑也(えみや)さんらがいる。
国立劇場は昭和45年から養成研修を始め、昨年4月現在で歌舞伎俳優293人のうち3割の99人を養成所出身者が占め、舞台に不可欠な存在となっている。養成所には現在29、30期の2人ずつ計4人が所属。午前10時から午後6時まで、中村萬壽さんら一流講師陣から演技や義太夫などを学び、2年後には歌舞伎俳優として巣立つ。
応募資格は原則23歳以下で受講料は無料。今年の募集は10月からで、彼らの中に〝未来の喜久雄〟がいるかもしれない。
「純粋にお役を見せる」
養成所出身の市川笑也さん
一般家庭から国立劇場養成所(5期)を経て市川猿翁門下となり、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」などで猿翁の相手役を演じた市川笑也さん(66)に話を聞いた。
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血筋の役者なら、お客さまは役と同時に役者そのものもごらんになると思いますが、背景のない私の場合、純粋にお役を見せないといけない。スーパー歌舞伎で1カ月に40回近く舞台を勤めると、せりふが自然に出て、完全に役になれるときがあります。
私は青森出身で高校卒業後、養成所に入りました。朝から晩まで立ち回りなど、初めて尽くしの授業を身体で覚える日々。余計なことを考える暇がなく、また、先生が一流の方ばかりで、授業が面白くなったんです。
卒業後は馬の脚から始め、抜擢していただきましたが、3度辞めようとしました。役になり切る楽しさを知った今は、辞められなくなりました。
歌舞伎俳優を目指す一般家庭の人には、「大変な世界だが、刺激にあふれ退屈しない」と伝えたい。大勢の恩師に恵まれて今があります。(談)
400年の歴史、民間企業が担う 門閥外が下支え
歌舞伎は400年以上の歴史を持つ、日本特有の演劇だ。現在は松竹と国立劇場により舞台製作と興行が行われている。国を代表する伝統芸能が一民間企業に支えられているのは世界的に珍しく、それゆえに技芸伝承をしつつ、商業的エンタメとしての新作創作や、スターを生む現代性もある。
俳優は市川團十郎、尾上菊五郎ら代々名跡を受け継ぐ家の息子や養子のほか、国立劇場養成所出身者が3割。竹本(歌舞伎音楽)では養成所出身者が9割を占め、地方を含む数多くの舞台を下支えする。門閥外の人材の活躍が、梨園に新風を吹き込む役割も果たす。
興行はコロナ禍で他の舞台芸術と同様に一時中止を余儀なくされたが、松竹は今年、創業130周年記念として全国で話題作を上演。東京・歌舞伎座で5月から始まった菊五郎・菊之助襲名披露興行が各地で続くほか、三大名作の通し上演、新作歌舞伎「火の鳥」も話題に。さらにアニメのルパン三世を歌舞伎化した「流白浪燦星(ルパンさんせい)」、ゲーム「刀剣乱舞」とのコラボなど、外国人や若者ら新たな観客層も取り込む。(飯塚友子)
映画「国宝」 吉田修一さんの同名小説を李相日監督が映像化した芸道映画。任侠の家に生まれた主人公、喜久雄(吉沢亮)が上方歌舞伎の名門の家に引き取られ、御曹司の俊介(横浜流星)とともに才能を開花させてゆく。6月6日に公開され、興行収入は8月21日までに110憶円を突破し、邦画実写作では歴代2位となった。
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