リバイバル中『この世界の片隅に』の後に観て!「大人向け」に印象変わる「長尺版」で分かる事実とは

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すずさんは2025年で100歳

 2016年の公開後、多くの人びとに絶賛されてきたこうの史代さんの同名マンガ原作のアニメ映画『この世界の片隅に』が、終戦から80年、主人公「浦野(結婚後の苗字は北條)すず」が100歳となる節目の2025年夏にリバイバル上映されています。

 同作には2019年に公開された『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』という、250以上の新規カットを加え上映時間が168分になったバージョンが存在します。こちらでは2016年版では後述する理由で原作からカットされた、遊郭の娘「白木リン」のエピソードがたっぷりと描かれており、ぜひ追加で観ていただきたい作品です。

 その『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、「長尺版」「ディレクターズ・カット版」「完全版」という見方もできますが、片渕須直監督の意向を鑑みても、「全く別の新しい映画」と言っても過言ではない魅力に満ちているともいえます。その理由を記していきましょう。

※以下、『この世界の片隅に』と『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の内容に触れています。便宜上、前者を2016年版、後者を2019年版(2019年版で追加で描かれたことは基本的に原作通り)と記します。

●2016年版がすでに「完全版」である理由

 片渕監督は、2016年版をすでに「完全版」だと認識していたそうです。その理由は、命題だった「戦争を生きるリアルな空気感を伝えること」が達成できたことに加え、「原作マンガを2時間前後の映画として成立できたから」でした。

 しかも、片渕監督は、2016年版では主人公のすずと、義理の姉「黒村径子」の物語をメインストーリーに置くと決めていました。そちらでリンのエピソードのほとんどがカットされたのは「中途半端にリンを描くと『添え物』のようになってしまうから」という考えもあったそうです。

 たしかに2016年版では、径子の娘「晴美」が、時限式爆弾の爆発に巻き込まれて亡くなり、自身も右手を失ったすずが「人殺し」と責められてしまう、悲劇の物語により焦点が当たっているという印象を受けます。

 なお、今回のリバイバル上映に当たって、2016年版のキービジュアルが新しく描き下ろされています。劇中の「すずの失った右腕」が彼女の頭をなでる光景が描かれており、それはすずが「喪失」に向き合い「自らを癒す」さまを感じさせるものです。しかし、背景に廃墟となった畑が描かれている点からは、彼女が抱える歪(ゆが)みも感じられます。

●自分を「代用品」と思い込んでしまったすず

 そして、前述のように、2016年版ではすずが物語の途中で知り合う遊郭の女性、リンに関する物語が大幅にカットされています。原作および2019年版では、リンとすずの夫「周作」が、性的な意味も含んだ関係を持っていました。

 周作の伯父「小林」は、周作が上司に初めて女郎屋(遊郭)連れて行かれたときに、そこで働くリンに同情して「あそこから救い出すんじゃ」とまで言っていたこと、それを「諦めるための条件」がすずとの結婚だったではないかとまで語っています。

 すずはそのことを、作中に出てくる「切り取られたノート」から部分的に分かってしまいました。そして、すずと周作が布団をともにしている場面では、すずは周作がなでてきた手を「イヤ」と避け、「『代用品』のこと考え過ぎて、疲れただけ」とまでつぶやきました。すずは「周作にとって自分はリンの代わり」と思い込んでしまったのです。

 このように、2019年版のすずは「知らなくてもいいこと」を知ってしまいました。その後に幼馴染の「水原哲」と再会した際には、はっきりと「あん人に腹が立って仕方ない!」と、周作への感情を吐き出します。これ自体は2016年版にもあったセリフですが、観客がリンと周作の関係を知っているか否かで、意味合いが大きく変わってきます。

 2016年版では、すずがリンと再会しなかった(その場面が描かれなかった)おかげで、周作とリンが関係を持っていたということを知らず、わだかまりのないまま周作のことを好きでい続けられており、上記のセリフも単に普段のケンカの延長上のもの、という解釈も可能でしょう。一方で2019年版では、代用品として自分を選んだかもしれない、そう自分が思っていることも知らない、周作への切実な憤りの言葉になっているのです。

●「桜の木の上に登ったすずとリン」の会話を知ってほしい

 一方で、2019年版では、すずがたびたびリンと再会していることが、彼女自身の救いになっていた側面もあります。

 特に「すずとリンが桜の木の上に登る」場面での、彼女たちの会話は重要です。どんなことを話したのか、その際にリンと再会した周作がどのような反応をするのかは、あえてここでは書かないでおきますが、そのときのリンの言葉は寂しいものである一方で、すず自身の「今のがほんまのうちなら、ええ思うんです」という言葉にも通ずる、肯定したい考えとも思えます。

 さらに、2019年版では「テル」というリンと一緒に遊郭で働く女性も登場します。彼女が確かにそこに「いた」ことも、2016年版とはまた全く異なる切なさと儚さを感じられることでしょう。

 どちらのバージョンでも、『この世界の片隅に』は楽しいこともあるけど厳しく、そしてときには命が奪われる戦時中に、「それでもなお日々を生きる」大切さを描いた作品といえます。径子の娘を失った悲劇に焦点を当てた2016年版も、すずの複雑な心境が分かる2019年版も、どちらも観ていただきたいところです。

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