やなせさんと向田さんは「映画評」で出会っていた
2025年前期の連続TV小説『あんぱん』では、主人公「柳井のぶ(演:今田美桜)」の妹「朝田蘭子(演:河合優実)」が、フリーのライターになったことが話題になっています。一部では、彼女のモデルが昭和を代表する作家、脚本家の向田邦子さんなのではないか、という考察が話題になっているようです。
『あんぱん』は『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんとその妻の暢さん(旧姓:池田)の人生をモデルにした物語で、もちろん暢さんの妹は向田さんではありません。池田家の次女は瑛(えい)さん、三女は圀(あき)さんという名前です。ただ、いくつかの点から「モデル」説がささやかれています。
向田さんはやなせさんと親交があり、『あんぱん』放送前から手塚治虫さん(眞栄田郷敦さん演じる「手嶌治虫」として登場)や、永六輔さん(藤堂日向さん演じる「六原永輔」として登場)らと並んで、「やなせさんと関わった天才」として登場が期待されていました。
NHK出版によるドラマのガイドブック「連続テレビ小説 あんぱん Part2 (2) (NHKドラマ・ガイド) 」には、「困ったときのやなせさんと時代を彩ったスターたち」というコーナーがあり、手塚さん、永さん、いずみたくさん(大森元貴さん演じる「いせたくや」のモデル)、宮城まり子さん(久保史緒里さん演じる「白鳥玉恵」のモデル)、立川談志さん(立川談慶さん演じる「立川談楽」のモデル)と一緒に、向田さんの名前が出ています。
ここで紹介されている他の5名は、モデルのキャラがドラマに登場している以上、向田さんに該当する登場人物も出てくると考えるのが自然ですが、現状はっきりとした近しい人物はいません。
向田さんは1950年代後半、雄鶏社で「映画ストーリー」という雑誌の編集者をしており、当時さまざまな仕事のなかで映画批評もしていたやなせさんと出会いました。やなせさんは自伝『人生なんて夢だけど』で、「目が大きくベレー帽をかぶった」当時20代の向田さんに「やなせ先生の原稿は面白くて、毎号読むのが楽しみ」と言われ、そのうち仲良くなって一緒に展覧会に行ったことも振り返っています。
その後の1964年4月、やなせさんは東京12チャンネル(現・テレビ東京)で『ハローCQ』というTV映画の脚本を担当していた頃に、会社を辞めてフリーの脚本家となっていた向田さんに『ハローCQ』のシナリオを2本書いてもらったそうです。
やなせさんはそのシナリオに少し手を入れたとのことで、のちに『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などの大人気ドラマを生み出す脚本家の文を修正したことを、「今思うと冷汗ものです」と語っていました。そして、やなせさんは向田さんからの依頼で、彼女のエッセイの代表作『父の詫び状』の挿絵も担当しています。
現状、映画評論の仕事に関わっている、1964年時点で会社員を辞めてフリーの物書きになっているということしか分かりやすい共通点はないものの、蘭子のファッションや演じる河合優実さんの顔立ち、しっかりした性格なども踏まえて、彼女を向田さんを重ねる視聴者の声は少なくありません。やなせさんと向田さんの出会いは1950年代後半なので、これから新キャラで向田さんに当たる登場人物を出すのも難しいでしょう。
また、蘭子と向田さんの直接の共通点というわけではありませんが、『あんぱん』29話で描かれた、蘭子と後に戦死する「原豪(演:細田佳央太)」の最後の夜の場面も、いまになってまた話題になっています。日中戦争への出征前夜の豪にプロポーズされたあと、母「羽多子(演:江口のりこ)」の「今夜はもんてこんでえい」という言葉もあって、豪と汽車でどこかへ向かった蘭子の姿に、向田さん脚本のNHKドラマ『あ・うん』の第2シリーズ『続あ・うん』(1981年)の最終回を思い出した方も多かったようです。
こちらも日中戦争が始まった昭和初期が舞台で、最終回「送別」では「水田仙吉(演:フランキー堺)」と「たみ(吉村実子)」の娘「さと子(演:岸本加世子)」と、彼女の恋人「石川義彦(演:永島敏行)」の別れが描かれました。この回では、召集令状が届いた義彦が最後の挨拶を済ませ去っていくなか、仙吉の親友「門倉修造(演:杉浦直樹)」が、さと子に彼を追いかけ、一晩中そばにいるように言います。
その後、さと子は義彦の下宿で一夜を過ごし、「この一晩を、私は一生だと思いました」というモノローグが入りました。
『あんぱん』29話放送時は、そういった『続あ・うん』との共通点も話題になっています。もしかすると、脚本の中園ミホさんは物語後半で蘭子を向田さんに重ねたいという思いもあって、名作ドラマのオマージュシーンを入れたのかもしれません。
さすがに、これから蘭子が向田さんと同じように大ヒットドラマの脚本をたくさん書く、ということはないでしょうが、「嵩(演:北村匠海)」が彼女に脚本の仕事を手伝ってもらうような展開はありそうです。彼女がどこまで向田さんと被る存在になるのかにも、注目が集まります。
参考書籍:『人生なんて夢だけど』(フレーベル館 著:やなせたかし)、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋 著:梯久美子)、ガイドブック「連続テレビ小説 あんぱん Part2」(NHK出版)
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