IMALU 父・さんまと「共演NG」の真相は「ずっとしないのも寂しいけど…」葛藤抱えた芸能生活

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写真映像部・佐藤創紀

タレントのIMALUさん(35)がデビューしてから16年の月日が流れた。父親がお笑い芸人の明石家さんま、母親が女優の大竹しのぶの長女として生まれ、人知れず悩みを抱えて過ごしていた時期があったという。インタビューの【前編】では半生を振り返ってもらうとともに、両親に抱く特別な思いを明かしてくれた。

――IMALUさん、公立の小学校に通っていたんですよね。両親がスーパースターなので、私立の小学校だと勝手に思い込んでいました。

 よく驚かれます(笑)。なぜ公立の小学校に行かせたのか、親に聞いたことはないんですけど、私にとってはすごく良い環境でした。親が芸能人だからと特別扱いされることもないし、友達の社宅や公園で鬼ごっこしたりして遊んでいました。今も小学生のときに知り合った友達とは仲良しだし、自分の居場所が地元のコミュニティーにある。「芸能人だから特別」という感覚が子どものときからないんですよね。

■「お母さんいる?」って

――嫌な思いをされたことはなかったですか?

 うーん。入学式で「さんまさんの子どもが来る」って周りの大人の視線をすごく感じたのは覚えていますね。名前が呼ばれると会場がざわついて(笑)。運動会にもメディアが来たり、芸能リポーターが自宅の前にいて「お母さんいる?」って聞かれたりしたこともありました。ただ、子ども同士の関係性で嫌な思いをしたことはなかったし、自分だけが芸能人の子どもで嫌だなという感覚はなかったですね。

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写真映像部・佐藤創紀

――カナダの高校に留学しましたね。

 小学生のときから、海外のアーティスト、映画への憧れが強かったんですよね。海外の授賞式って、スピーチで政治的な主張を発信したりするじゃないですか。自分の意見を主張する姿を見て、私もこうなりたいと幼心に感じていました。家庭環境も影響していたと思います。父も母もいろいろな方に囲まれて仕事をしている。芸能人の方やスタッフの方たちは両親に気を使うんですよ。父親が席を立つと、みなさんもすぐに席を立って見送る。当時の私は「なんで、お父さんを特別扱いするんだろ」って違和感があって。父が帰ると、みなさんがほっとした顔をするのを見て、こういう大人にはなりたくないと(笑)。今だったら理解できるんです。目上の人に気を使った振る舞いは大事ですし、私もそういった行動をする。でも当時は幼かったので(笑)。私は主張を突き通す人間になりたいから、海外に行きたいと。迷いはなかったですね。

■また違った人間だっただろうなと

――カナダで過ごした3年間はいかがでしたか?

 メチャメチャ楽しかったです。環境や文化、言葉が違う場所に住んで、誰も両親のことを知らない。その世界が生きやすかった。教育の違いも感じました。先生に「あなたはどう思う?」とよく聞かれたのが印象的でした。生徒たちはみんな自分の意見を持っている。私はもともとシャイな性格で人としゃべるのが得意でなかったんですけど、そんなこと言っていられない(笑)。自分を知ってもらうためにも積極的にコミュニケーションを取る姿勢に変わりました。高校時代は人生のターニングポイントだったと思います。日本にいたら自分も無意識に両親のことを気にしながら生き続けていたので、カナダに行かなかったら。また違った人間だっただろうなと。

――高校卒業後、芸能界に入ることに迷いはなかったですか?

 当時は大学に行くか仕事するかで悩んでいて。将来のことを全然考えていなかったんです。でも音楽に携わる仕事をしたくて、VJ(ビデオジョッキー)に興味があって。そのときに、母の個人事務所が動いてくださったんです。音楽が好きなことを尊重してもらってラジオ番組や雑誌の連載のお仕事をいただきました。ただ、雑誌のファッションページに出たら「モデルデビュー」と報じられ、私が追いつかないスピードでいろいろなお仕事のオファーが舞い込んでくる。最初は両親の名前を出したくなかったんです。性格的に目立ちたくなかったし、地味でいたい。でも、そんなことを言える状況ではなかったですね。

■「あっ、無理しなくていいんだ」

――当時は苦しかったですか?

 両親が芸能人でなければ、お仕事をもらえなかったですし、ありがたみは感じていました。頑張っていたけど、スキルがないからできることが限られていた。さらには自分のやりたいことと現実がかけ離れていてうまくいかないから、自信がなくなる。悪循環でしたね。ネットのコメント欄で批判の書き込みを見ることがありましたけど、「そうだよね、私は何もできていない」って心に刺さっていました。当時は今日一日を無事に終わらすことを考えて生きていましたね。

――両親に相談されましたか?

 言わなかったです。母の個人事務所に所属していたので、親子という関係性ではなく、すごく難しい時期でした。2013年に事務所を移籍するんですけど、そこで仕事のスタンスが変わりました。タレントは私1人、スタッフが2人だけという環境で一つ一つの仕事に更に責任感を感じていました。最初は両親の話をしたり、求められる話題を意識したりして発言していたんですが、いろいろ考えずに自然体で発言したほうが番組にもう一度呼んでいただける回数が増えて。「あっ、無理しなくていいんだ」って自信につながりました。

写真映像部・佐藤創紀

――改めてですが、両親はどのような存在ですか?

 こうやって芸能界で活動していますし、カナダに留学させてもらったり、特別な経験をさせてもらえたりして感謝しています。父も母も仕事が楽しくて生きる力になっている。小さなときから見てきたので、「仕事で成功することが幸せ」「私も仕事で結果を残さなきゃいけない」という思いを持っていました。ただ、年を重ねると、「私は両親と全然違う」と気づいて。私は両親ほど自分を追い込めないし、仕事以外の時間も充実させたい。もちろん、仕事に向き合うストイックな姿勢は尊敬しています。両親を見てきたから、自分の生き方に気づけた。2人の子どもで良かったと本当に思います。嫌だったとは言えません(笑)。

――さんまさんと共演NGと聞いていますが、これからも実現することはないですか?

 今まで共演のお話をいただいたことは何度かあったんですけど、断ってきました。自分に力がつくまで、この世界で結果を出してからという思いがあって。ただ、あっという間に16年が経ったので、いろいろ考えますよね。父が70歳になったんですよ。年齢を考えると20年後は難しいかもしれないし、ずっと(共演)しないのも寂しい気持ちがする。ほかに共演者で入るとしたら母ですよね(笑)。逆にみなさんに聞きたいです。せっかくなので楽しんでもらいたいですし、どんな共演がいいかアイデアを募集しています!

(構成/平尾類)

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