三越時代のやなせたかしはもっと勤務時間を「有効活用」してた? 『あんぱん』嵩の「仕事中にマンガ」シーンが話題に

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仕事が早すぎるやなせさん

 2025年前期の連続TV小説『あんぱん』第91話では、『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんがモデルの「柳井嵩(演:北村匠海)」が、「三星百貨店」での勤務中に4コママンガを描こうとする場面があり話題になりました。SNSでは「仕事中にそれはいかがなものか」というような意見もありましたが、これはやなせさんの史実に基づいた描写で、ドラマではマイルドになっているともいえます。

 やなせさんは1947年10月から1953年3月まで、三越の宣伝部に務めていました(その後フリーに転身)。その当時の働き方について、やなせさんは著書『アンパンマンの遺書』(1995年出版)の、「ツッパリ社員」という章で振り返っています。

 もともと漫画家になりたく、あくまで「腰かけ」で三越にいたというやなせさんは、勤務中にマンガを描くことは日常茶飯事でした。当時の自分の人物像について、やなせさんは「若い頃は今よりもっと生意気で、性質も温和そうにみえてひねくれていて、頑固一徹。権威が嫌いで反抗する。自由主義で、極端に束縛されるのをいやがるから、非常に使いにくい」と語っています。

 もちろん、やなせさんは求められる仕事はきっちり行っており、欠勤もしていませんでした。しかし、毎日必要な仕事量を20分ほどで片付けて、あとの時間をマンガの執筆、私用電話、マンガの関係者との面会での外出など「有効に利用」していたため、当時の同僚の松永和男さん(後に御茶ノ水の画材店「レモン画翠」を開き成功する)からは、「全然仕事しない」「会社以外の自分の仕事を部長の眼の前で平気でやっている」ように見えていたそうです。

 当時、サラリーマンをしながら手当たり次第にマンガの投書をしていたやなせさんは、収入も部長より多くなり、権威嫌いの性格ゆえにわざと部長よりも高級な弁当を食べていたといいます。

『アンパンマンの遺書』では「あの頃の自分のことを思うと恥かしい」「皆さんごめんなさい」と綴っていましたが、妻の暢さんも働いていたこともあり、やなせさんはこの三越時代の収入で四谷の荒木町に一軒家を建てることができました。また、同じように投書をしていた小島功さん(『仙人部落』『ヒゲとボイン』など)ほか、さまざまな漫画家仲間とも出会っています。

 すでにあらすじが発表されている第92話では、雑誌に応募した嵩のマンガが入選を果たすようです。これからどんどんマンガの仕事が増えれば、『あんぱん』でも堂々と職場でマンガを描く姿が観られるかもしれません。

参考書籍:『アンパンマンの遺書』(岩波書店 著:やなせたかし)、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋 著:梯久美子)

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