日本生まれで中国、米国にもルーツをもつノゾミ・リン(24)が22日、今年デビュー60周年を迎えたシンガー・ソングライター加藤登紀子(81)プロデュース曲「渡り鳥の子守歌」で配信リリースデビューする。同曲は業界初となる日本語、英語、中国語の3カ国語同時リリース。CDは9月17日発売となる。加藤とリンが、日刊スポーツの取材に応じた。【取材・構成=川田和博】
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−リンさんは、これまでどんな音楽を聞いてきましたか
リン 両親が音楽好きでした。父はビートルズとかレッド・ツェッペリンとか、60〜80年代の曲をいっぱい聞いていて、私もそれを聞いて育ちました。あと、小さい時からバレエをやっていたので、オーケストラとかも聞いていました。
加藤 あら、私も小学校の時、バレエをやっていたのよね。「白鳥の湖」が心に焼き付いている。あと、ショスタコーヴィチの「森の歌」が、うちでは家庭の音楽だったの。私たちの世代でオーケストラは「ファンタジア」っていうディズニーの映画でしたね。
リン 知ってます! 同じなんですね!
−フタを開けてみたら、実は、結構つながっていますね
加藤 そうなよ。(この日着用の)このTシャツを作ったのが2000年なんだけど、彼女が生まれた年なんだって。今日これが引き出しから出てきたから、なんか面白いなと思った。奇跡が起きちゃったね。
−曲に戻りますが、レコーディングの順番は
加藤 どうだったかな? 英語から中国かな。日本語は最後だったと思う。
リン 最初が中国語で、英語、日本語でした。
加藤 日本が一番難しいわよって、最初から言っていた。
−実際に歌ってみて、いかがでしたか
リン 中国語が一番歌いやすくて、英語、日本語という感じです。
−歌の世界観を表現をする上で、言語によって何か変えたことはありますか
リン あまり変えてないです。心の中のストーリーは全部つながっているので、イメージは同じでした。
−加藤さんからみて、できあがりの印象は
加藤 やっぱり、日本語が一番心配。欲を言えばね。日本語は歌い込んでいくうちに、もっと良くなると思うのね。
−それは、日本語特有の行間をどう表現するかということですか
加藤 私が自分で感じて歌うほどの言葉の力というか…。言葉の持っている力の奥にある意味とか、「ひょっとしたら、こういう風に取ってくれるかもしれない」という意味の深さとか、そういったものは、今後いろんなシーンで歌っていくと分かってくると思うんです。だから、これを日本語で歌う時は、そういう風に少しずつ、育ててくださいね。
リン 頑張っていきます!
−レコーディングをして世に出すものとしては1つの形にはなっているけど、今後歌うことによって変わっていく。違うものにどんどん成長していくということですね
加藤 この歌は彼女にとって、「ここで育っているけれど、私の本当の場所はどこなのかしら」というのを探しているような意味なんです。私は戦争という時代にハルビンで生まれて、1歳半で日本にきたのね。だから、故郷というものに、それほど執着していなかったんです。でも、「私はいつ、ハルビンに行くのかしら?」と、小さいころからずっと思っていたんです。
−国交が回復するまで、中国は簡単に行ける国ではなかったですよね
加藤 そうね。国交回復が72年で、その後旅行はできるようになったけど、私には切符を買ったらいけるなんて、そんな簡単なことじゃなかった。そう思っていたら、81年に歌手として呼ばれたんです。その時、すぐに行こうと思った。それは、その2年前に、モンゴルに行った時に、北京から列車に乗る予定だったのを間違えて、ハルビン行きの列車のところに行っちゃったのね。みんなから「違うよ。ここじゃないよ」と言われたけど、私はそこで泣いたのよ。それで私は心の中で「あっ、私はハルビンに行きたいんだ」って気付いたの。だから、81年に初めて日本人としてハルビン音楽祭に声をかけられた時には、もううれしかったんですよね。(つづく)
◆ノゾミ・リン 2000年11月6日、東京生まれ。幼少期を日本と中国、高校はカナダ・バンクーバー、大学・大学院は米ニューヨークで過ごし、現在はロサンゼルス在住。11歳で作曲を始め、18年に4曲入りアルバム「WEST COAST」をインディーズで配信リリース。
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