「思いっきり走るとか、もう怖くて…」芸能界最速王・井手らっきょ(65)が明かした高熱、肺炎と糖尿病…この3年で4度入院の現在

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“たけし軍団”の1人として活躍してきたお笑い芸人・井手らっきょさん(65)は、2018年に故郷・熊本にUターンし、市内でカラオケスナック「らっきょの小部屋II」を経営しながら、主に地元で芸能活動を続けている。ところが、2年前に“たけし軍団”結成40周年記念プロジェクト舞台『ウスバカゲロウな男たち』が東京で上演されたとき、肺炎で不参加だった。聞くと、この3年で4度の入退院を繰り返していた……。【前後編の後編。離婚について明かした前編を読む】

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 40周年記念舞台は3月の開催でしたから、僕も2月に上京して、稽古には参加していたんです。ところが、暖房の効いた部屋でダウンを着ているのに寒くてしかたがなくて、息が上がってハーハーする。「ちょっと風邪気味なのかな」と思って、こっちに戻って大分県で仕事をしていたら、その帰る途中で高熱が出て救急車で運ばれて、入院しました。(40周年記念)舞台の千秋楽には顔を出せたんですけどね。

 こっちに戻ってから、いろいろ病気が続きました。最初は2〜3年前、右の肺に穴があき、自然気胸といわれて2〜3週間入院しました。その後、冬にまた呼吸が苦しくなり、39度の高熱が出て「コロナかな?」と思ったら肺炎でした。レントゲンを撮ったら、右肺が真っ白で3週間入院しました。それから夏にまた肺炎を起こして。もう今は何ともないですけどね。

「裸にばかりなってるからじゃないか」なんて軍団に冷やかされました。たしかに、「らっきょの小部屋II」に団体客が来たり、初めて店に来たお客さんがいたら、獅子舞パンツ一丁で北島三郎さんのモノマネをして「まつり」を歌ったりしてますからね(笑)。

 3年前には糖尿病にも。僕は酒は飲まないんだけど、甘い物が好きでね。コンビニに売ってる甘いカフェオレを1日3本は飲んでいたし、店ではコーラをよく飲んでいました。がん健診のついでに血液検査をしたら、医者に「即入院しなければいけない数値です」と指摘されました。店を開けたいので入院は避けたい。それで、甘い飲み物をやめ、ジムに足繁く通って、1日3度の食事をキチンととったら、すぐに治っちゃった。医者がビックリ。

 結局、若い頃、何も考えずに暴飲暴食をしてきたツケが回ってきたってことかな。もともと、とんかつとかハンバーグ、ラーメンといった子どもが好むようなカロリーの高い食事が好きなんですよ。

 裸芸は、もともと僕だけのものじゃなくて、軍団のみんなもよく脱いでいたんです。ただ、なぜか僕が裸になると、お客さんのウケがよくて次第に僕の役割に。いや、僕のモノが立派だからじゃないんです(笑)。なぜなのか、わかりません。芸人ですから、ウケれば、裸になるくらいは平気ですよ。

 スキンヘッドにしたのは、デビューしたとき、アイドル系で売り出されたのがストレスで円形脱毛症になったことが下地にあります。僕は大学時代、「ものまね研究会」に入っていて、4年のとき、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ系)のなかのコーナー“ザ・ぼんちのものまねグランプリ”に、みんなと一緒に出演。

 初代スーパーグランドチャンピオンになって「太田プロダクション」にスカウトされ、ものまねタレントとしてデビューしたのですが、事務所の意向で「爽やか系でいこう」ということに。僕としては、同じ事務所にいた、たけしさんやたけし軍団を横目で見ながら、羨ましかった。そうしたら、たけしさんが軍団に誘ってくれて嬉しかったですね。

 当時、スキンヘッドって芸能界ではサンプラザ中野さんぐらいしかいなかったから、僕は見た目を気にしてカツラを被っていたんですけど、たけしさんに「剃っちゃえ」といわれてスキンヘッドに。毛が抜けて結構気に病んでいたので、スキンヘッドにして『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)に出てみんなに笑ってもらったら、気持ちが吹っ切れました。今も毎朝、ヒゲを剃ったついでに頭も剃っています。

「俊足」の現在は

『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で一番思い出に残っているのは、熱海でドッキリをやられちゃったとき。宴会場でストリッパーの女性たちのガーターベルトに問題が挟まれていて、僕らはそれを取って問題に答える、という設定だったんですけど、僕はストリッパーと一緒に裸になって踊ったんですよ。

 そうしたらドッと受けたから「良かったなあ」なんて思ってたら、実は僕の後ろの緞帳が降りて、僕の両親や姉貴、嫁、息子、おばとかがズラリと正座して、僕の裸踊りを複雑な表情で見ていたんですよ。僕が気付くと、オフクロは「何やってんの!?」と言いながら、僕の股間を隠そうとするし、銀行マンだったオヤジは「制作者(父親)として恥ずかしい」なんてコメントしてね。いや、僕のほうこそ恥ずかしかったですよ(笑)。

『ビートたけしのスポーツ大将』では、長嶋(茂雄)さん、王(貞治)さん、金田(正一)さんのいる名球会と野球の試合ができたことが感激でした。カズ(三浦知良)さんやラモスさんとサッカーもやった。たけし軍団に入っていなかったら、こんな経験はできなかったでしょう。本当にラッキーでした。

 俊足に注目していただけたおかげで、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』(フジテレビ系)では金メダリストのフローレンス・ジョイナーさんと一対一で争うマッチレースをして勝つこともできました。ジョイナーさん、かっこいい方でしたよ。僕と同い年なのに、早く亡くなって残念です(1998年38歳で死去)。

 今の野球との関わりは、福岡にある社会人チーム「嘉麻(かま)市バーニングヒーローズ」の総監督という立場で、チームが試合のときに応援に行くくらいです。思いっきり走るとか、もうケガが怖くてできません。テレビから今もときどき走る仕事をいただくのですが、以前のように走ってみなさんに喜んでもらうには、相当練習を積まないとできません。

 今は瞬発力が勝負ではないモルックというフィンランド発祥のゲームをプライベートで楽しんでいます。木の棒を投げて点数を競うのですが、頭を使って戦略を練ってやるのでおもしろいんですよ。まだまだ身体を動かして楽しみたいですね。

【後編了。離婚について明かした前編を読む】

取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)

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