松任谷由実 松田聖子に楽曲提供も“松任谷由実”名義を使用しなかったワケ「取材が来たときに…」

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 シンガーソングライターの松任谷由実(71)が22日、自身がパーソナリティーを務めるTOKYO FM「Yuming Chord」(金曜前11・00)に出演。自身が楽曲提供をした大物歌手について語った。

 今回は松任谷が過去に提供してきた楽曲の中から“エモい”曲に関するエピソードを回顧。「その話しで言うと松田聖子さんとの出会いは私にとってとても特別でした」と「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」(ともに1982年)などでタッグを組んだ歌手・松田聖子について語り出した。

 「(作詞家の)松本隆さんから依頼が来て“松田さんの新曲をつけてほしい”と頼まれ。当時彼女はすでに注目のトップアイドル、影響力も凄かった」と回想。「私自身もシンガーソングライターとして毎年のようにアルバムをリリースしていた時期で…そこで私は“松任谷由実”としてではなく“呉田軽穂”というペンネームを使って曲を作りました」と振り返った。

 「それは、とにかく松田聖子さんの当時の破壊力、影響力が凄すぎて、“松任谷由実”で書いたら私もそこそこ注目されてますから、取材が来たときに全部松田聖子さんの話になっちゃう」と心配したと回顧。「松本さんと話して名前で頼まれたくない」と感じたといい、もともと持っていたペンネームでの作曲を打診したところ快諾してもらえたと語った。

 「改めて、松田聖子さんの表現力は誰よりもエモい。永遠のアイドルだと思います」と締めくくった。

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