戦後80年の節目の夏、世界的プリマ・バレリーナ、森下洋子(76)が東京都千代田区の日本記者クラブで講演を行った。
「原子爆弾によって、私の人生の色とにおいと、照り返しが、どのようになったか、お話しします」
広島県出身。74年を数える舞踊歴は、そのまま日本の戦後復興と重なる。幼くして才能を見いだされ、上京し、さらに海外に活躍の場を広げても、常に根っこにあったのは故郷への思いと平和への願いだ。冒頭、舞台そのままの優美な空気をたたえながら、まずその強い信念と覚悟を語った。
被爆した母が娘の健康を願い、3歳から始めたバレエが人生を変えた。「被爆一家に生まれ、不器用な体の弱い森下洋子は、まるで原爆戦争を基にして、自分の肉体と精神を作る道を走ってきたように感じます」
海外でヴァルナ国際バレエコンクールの金賞、英ローレンス・オリヴィエ賞、パリ・オペラ座バレエ団への出演など「日本人初」の称号が付いて回ったバレエ人生。身長150センチの体で、今も現役プリマとして全幕作品を踊る稀有(けう)な存在だ。その不屈の精神は、最愛の祖母から受け継いだ。
「祖母は被爆し、左半身に大やけどを負った。でも明るく前向きで、『私はお経まで上げてもらったのに生きていられる』って、笑いながら言うんです」
生家で原爆が話題になることは、ほとんどなかった。祖母は不自由な指を嘆くのではなく、機能が残った親指への感謝を語り、生きる喜びを伝えた。「そのおばあちゃんの精神力、強さってすごいなって。ずっと後になって感じました」
だからこそ世界で戦禍が続く今、舞台の上から平和を訴え続ける。「今の私の振り、舞い、魂が、平和の姿、意志をあらわしていると、恥ずかしさもなく信じています」(飯塚友子)
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