『北斗の拳』武論尊氏がヒット作を連発できたワケ 読者に寄り添うサービス精神「俺はうそつき」

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「面白いだろ?」ではなく、「面白いでしょ?」と読者に投げかける

『北斗の拳』や『サンクチュアリ(「史村翔」名義)』の原作者として知られる武論尊先生は、元自衛隊員だ。漫画原作者としての道を歩みはじめたのは、自衛隊の同期で漫画家の本宮ひろ志先生の仕事の手伝いがきっかけだった。編集者に促され、“初めて”書いた原作で週刊少年ジャンプデビューするなど、天才性を感じる先生のヒストリー。そして、先生が考える“面白い漫画”について聞いた。(取材・文=関口大起)

「一番大切なことは、読者を喜ばせるってことです。自分から一方的に、書きたいこととか言いたいことを発信したって、読者には全然響きませんよ。俺がいくつかヒット作を作れたのは、その考え方があったのと、サービス精神っていう強みを持っていたからだと思う」

 編集者に促されるまで、自分が漫画の原作を書くなんて考えたこともなかったと話す武論尊先生。当時は、原稿用紙の使い方も知らなかったという。ただ、自身の強みだと語る“サービス精神”はすでに持っていた。

 たとえば、自衛隊時代から人を喜ばせたり、笑わせたりすることが大好きだった。自衛隊内で演芸大会が開かれると、決まって創作落語を披露。自衛隊を舞台に、上官をイジるネタ。それなら“絶対にウケる”という確信があったからだ。

「面白いだろ? じゃなくて、面白いでしょ? って感覚かな。これは漫画の原作を書くうえでも一緒」

 なぜ、編集者は武論尊先生に原作の執筆をオファーしたのか。

 本宮先生のもとで資料集めの手伝いをしていたころ、武論尊先生は編集者に「お前はまとめ方が面白いな」と言われたという。

 ただ頼まれた資料を集めてくるだけではなく、役に立ちそうなほかの情報を追加したり、時系列にまとめてから渡したり、といったひと工夫を加えていたからだ。

「それも言ってみればサービス精神です。自然にやってたことだけど、本宮が見やすいようにってのは考えていたね。たとえば、江戸幕府のとある時代の資料を頼まれたとするでしょ。仮に創世記の話なら、関ヶ原の戦いとか、徳川家康とかはメインどころとしてしっかり抑える。そこを中心に添えつつ、知名度は低いけど面白そうな坊さんの情報も端っこに入れておいたりするんですよ」

根底にあるサービス精神「俺はうそつき。読者が喜ぶならいい」

 当時の武論尊先生にとって、本宮先生は“読者”だ。読者を喜ばせるサービス精神。その考え方は、このころから自然と発揮していた。

 初作品でジャンプデビューを飾った武論尊先生のもとに、2作目のオファーはすぐにやってきた。しかし、編集者から「これで書いてみて」と渡されたのは、とある女性アイドル歌手の簡単なプロフィールだけだった。

「数年前、その原稿が家で見つかったんですよ。自分で言うのもあれだけど、今読んでも完成度がすごく高い。この原作を持ってこられたら、誰が編集者でもすぐに使うと思うね」

 実際、書き上げた原作はそのまま採用された。

「そのアイドルは沖縄出身の子だったんだけど、その情報だけで基地問題とか差別とか、歌を歌う理由とか、バックグラウンドを勝手に膨らませて書きました。当然、プロフィールにはそんなことまったく載っていない。おそらく、彼女もそんなことは思っていないはず。でも、俺はうそつきなんですよ。ほとんどうそと妄想。それで読者が喜ぶならいいじゃない」

 武論尊先生のサービス精神は、取材時にも存分に感じられた。さまざまなエピソードを、笑いを交えながら話してくれる。先生は、本宮先生の仕事場でも同じことをしていたと言う。おそらく、編集者はそのサービス精神に可能性を感じていたのではなかろうか。

 デビュー作、2作目と完成度の高い原作を書き上げた武論尊先生には、以降も仕事のオファーが続いた。そして、いくつかの読切、短期連載などを経て、ヒット作『ドーベルマン刑事』が生まれる。その連載がはじまるのは、デビューからわずか3年後のことだ。関口大起

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