『あんぱん』次週で嵩も上京するが今後「高知新報」メンバーの出番は? 「モデル」を見てみると

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モデルが驚きの出世をしていたのは

 2025年前期の連続TV小説『あんぱん』85話では、ついに「柳井嵩(演:北村匠海)」と「若松のぶ(演:今田美桜)」が互いの想いを伝えあい、結ばれました。次週18週目の予告を見ると、のぶに続いて嵩も「高知新報」を辞め、東京でマンガの仕事を始めるようです。

 ふたりとも1年弱しか在籍しなかったものの、いろいろな事件があった高知新報でのエピソードは濃厚で、「月刊くじら」編集長の「東海林明(演:津田健次郎)」や、編集部員「岩清水信司(演:倉悠貴)」、のぶと親友になった「小田琴子(演:鳴海唯)」を好きになった視聴者も多いでしょう。メインふたりが退社し上京してしまうと、高知新報に残る彼らの出番は減りそうですが、「史実」はどうだったのでしょうか。

 物語のモデルとなった『アンパンマン』の作者、やなせたかしさんと妻の暢さんは、それぞれ1年ほど高知新聞社に在籍しており、ドラマと同じく暢さんが代議士秘書となるため先に上京しています。すでに暢さんと恋仲になっていたやなせさんは、遅れること半年後の1947年の夏に、高知新聞社を辞めて東京に来ました。

 やなせさんが辞める際、社内では「女を追いかけるのか」「1年も経たないうちにやめるとは腰かけにしたのか」などと辛らつな意見もあったそうです。しかし、やなせさんが編集者をしていた「月刊高知」の発行責任者で、高知新聞の重鎮だった中島及さんという人物がみんなをなだめ、漫画家になるという志を抱いて上京するやなせさんを快く送り出すように言ってくれたため、無事に円満退社となりました。中島さんが果たした役割は、ドラマでは東海林が担うのでしょうか。

 その後、やなせさんは生涯にわたって高知新聞と良好な関係を続けており、1957年から2年間にわたり『マックロちゃん』という4コママンガを描いたり、1989年から17年連続で高知新聞主催の「黒潮マンガ大賞」の審査員を務めたり、1999年から2013年に亡くなる直前まで「オイドル絵っせい」という隔週連載を持ったりしていました。ドラマでも、高知新報の場面は今後多数出てきそうです。

 また、東海林のモデルである青山茂さんは『マックロちゃん』連載の際に、やなせさんと手紙のやり取りをするなど、退社後もよき理解者であり続けました。

 琴子のモデルで暢さんと同期入社だった深田貞子さんも、高知新聞は結婚を機に辞めてしまうものの、暢さんたちは生涯にわたって交友があったそうです。やなせさんが『アンパンマン』を世に出したあと、1980年代にやなせさんのスタジオを訪れたこともあったといいます。

 また、岩清水のモデルである品原淳次郎さんは、やなせさんの最後の仕事となった「月刊高知」1947年6月号の編集後記で、意気投合したやなせさんがいなくなることを「まことに淋しい」と語り、「人はそれぞれの仕事を示す場所を一生かかって探さねばならない(中略)彼は今それを見い出したのだから喜んで送り出そう」と、熱い言葉を送っていました。

 ちなみに、品原さんはやなせさんが上京してすぐの1947年9月に東京出張した際、やなせさんと暢さんから手厚くもてなされたそうで、その出張での取材には、まだ仕事がなかったやなせさんも同行したといいます。当時の品原さんの手記には、やなせさんが「何かつかれた感じ」の雰囲気だったことや、上京して半年ほどの暢さんがしっかりと東京人らしくなっていたことが記されていました。

 その後の品原さんは高知新聞の文化部長や社会部長、東京支社長など要職を務め、1970年代には高知放送の番組でニュースキャスターにもなっています。やなせさんと紙面で対談したこともありました。

『あんぱん』68話では、琴子が岩清水に関して「えい人やけんど、何か大物になりそうじゃない」と語っていましたが、これは彼がモデルの品原さんと同じく出世していくことの伏線だったのかもしれません。

 どうなるかは分かりませんが、高知新報の仲間たちの今後にも注目です。もしかすると、岩清水の出番がいちばん多いかもしれません。

参考書籍:『人生なんて夢だけど』(フレーベル館 著:やなせたかし)、『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文藝春秋 著:梯久美子)、ムック『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』(高知新聞社編集)

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