
戦時中に供出された鉄の郵便ポストに代わって設置されたコンクリート製ポスト(通称・国策ポスト)が三重県内で唯一、津市美杉町の市立美杉小学校に残されている。使用されなくなって約50年、そして終戦から80年。戦争の記憶が遠くなりつつある中、園庭で静かに戦時下の空気感を伝えている。
美杉小の国策ポストは高さ約1・3メートル、直径0・4メートルの丸形。コンクリートを朱色のペンキで塗装してある。正面に縦書きで「〒郵便」の文字。その上に投函(とうかん)口、下に取り出し口があり、側面には「開箱予定時刻 8時15分頃 15時10分頃」などと白ペンキで書かれている。全体に日焼けや塗料の剥がれが目立ち、劣化が進んでいる。
津市教委生涯学習課や郵政博物館(東京都墨田区)によると、日中戦争が始まった1937年ごろ、弾丸など武器となる金属資源を確保するため、鉄製ポストが次々供出された。それに代わって設置されたコンクリート製ポストを国策ポストと呼ぶ。戦後の49年ごろに鉄製が復活し始め、国策ポストは姿を消していったという。
美杉小の国策ポストは当初、JR名松線伊勢八知駅前の商店前に立っていた。その後、旧美杉東小学校の校庭に移設され、統廃合に伴って2012年に現在の美杉小に置かれた。

学校敷地内にあるため普段は非公開だが、戦後80年となる今年は9、10の両日、初めて一般公開され、県内外から訪れた親子連れらが記念撮影する姿が見られた。津市教委の担当者は「これまで美杉にあり続けたポスト。地域でどう守っていくか考えなければならない」と話している。
津市によると、国策ポストは全国に約10基残り、愛知と岐阜にも一つずつある。
愛知県豊川市の御油(ごゆ)小学校にある国策ポストは他と同じ規格だが、投函口のひさしが郵便配達人の帽子を思わせる形になっている。また、岐阜県輪之内町の乙姫公園にある国策ポストは、町が「乙姫ポスト」として町づくりに活用しており、手紙を投函すると「乙姫さん」からの返事が町のホームページに掲載される。
郵便回収されている「現役」の国策ポストは全国で一つだけ。長野県上田市にあるという。【渋谷雅也】
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