大分県津久見市の保戸島沖で13日朝、砂利運搬船とヨットが衝突し、ヨットに乗っていた大分市の医師、山本真さん(70)が死亡した。山本さんは30年以上にわたり、全身の筋力が低下する難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の在宅医療に尽力し、多くの患者や家族から頼りにされる存在だった。そんな姿に近くで接してきた知人らは、突然の訃報に声を詰まらせた。
大分県勤労者医療生活協同組合によると、山本さんは組合理事長で、大分協和病院(大分市)の院長を務めていた。大学時代からの知人で東京都の医師、名取雄司さん(67)は「正義感が強く大胆な人だった」と振り返る。奈良県の大学で医学生だったころ、山本さんは学内の問題解決のため、学生をまとめて大学と渡り合った。
正義感は医師になっても発揮され、労働者に寄り添った医療を志し、じん肺など職業病の治療に取り組んだ。ALSの治療に関わるようになったのは、1990年代。1人の女性患者と知り合い、多くの患者が在宅医療を望んでいることを知ったことが、きっかけだった。
日本ALS協会大分県支部の初代支部長、本田良子さん(86)は、患者だった夫が亡くなるまで約20年間診察を受けた。困った時はすぐに往診に駆けつけてくれた。本田さんは「一番の頼りだった。先生が亡くなって患者さんはどうなるんだろう」と悼む。
山本さんは難病患者の在宅医療を広めるため、気管にたまるたんを自動吸引するシステムの開発にも協力していた。40年来の知人で大分市の介護福祉士、薬師寺美津子さん(72)は「先生のおかげで『人工呼吸器を付けて生きる』という選択ができるようになった。医師として患者を守る、人生を共に支えていくという姿勢が、患者さんに生きる希望を与えてくれた」と涙ぐんだ。
関係者によると、山本さんは10日に佐伯市であったヨットの大会に出場。事故に遭った13日は午前6時半ごろ、市内の港から出港し、大分市の船着き場に戻る途中に事故に遭ったとみられる。山本さんは、趣味のヨットに乗るときも携帯電話を離さなかった。「患者さんが急変したらすぐに帰らないといけないからね」。薬師寺さんに、そう理由を語っていたという。【山口泰輝、森永亨、金将来、田崎春菜】
Comments