《ずっと若いママになりたかった》子ども好きだった中山美穂さん、元社長が明かした「反対押し切り意思貫いた結婚と愛息との別れ」

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「年を重ねても、生き続けて永遠のアイドルでいてほしかった。歌、ドラマ、映画で、あれほど活躍したアイドルはもう、出てこないんじゃないかなと思います」──昨年12月に天国へと旅立った中山美穂さん。今年3月末でオフィシャルファンクラブの運営が終了し、8月末でオフィシャルストアの運用も終了することが公式ホームページで発表された。

 過ぎゆく季節のなか、当時12歳の美穂さんをスカウトした所属事務所「ビッグアップル」創業社長の山中則男氏は、冒頭のように“娘”との早すぎる別れを今も悔やんでいる。「美穂のことを忘れないでほしい」との想いを込め、デビューからスターへと駆け上がる日々を綴った同氏の著書「中山美穂『C』からの物語」(青志社)は出版から1カ月で増刷となり、大きな話題を呼んでいる。

 不慮の事故から9カ月、山中氏が著書では書ききれなかった美穂さんとの最期、そして知られざる素顔を明かした。

「忘れもしません。美穂の訃報を知らされた翌日、通夜が営まれていた都内にある寺に急いで向かいました。そこには妹の(中山)忍ちゃんと美穂似のお母さんが亡き娘を見守っていました。

 美穂はドレスを身にまとってまるで眠っているような穏やかな表情でした。私は美穂に『あいかわらずキレイだな……でも、何、寝てんだよ。起きろ』『起きなきゃだめだよ』と、何度も声を掛け続けました」

 翌日、斎場で荼毘に付された美穂さん。「こんなになってしまったんだ……」、山中氏は涙ながらにお骨を拾った。54歳の若さで亡くなった美穂さんだが、山中氏は「美穂は若いママになりたかった」と、語る。

「美穂の母親も若くして結婚して、20歳くらいで彼女を出産しています。美穂は子どもが好きで、ロケに行くと撮影そっちのけで見学している子どもたちと遊んでいました。
コンサートでも親子連れのファンが多く、親子に好かれた子でした。年の離れた弟も可愛がり、事務所に連れて来たり、必ずコンサートに呼んでいました。ステージに上げたりもしていましたよ。あの子は遊び心もあって、(1985年の)私のスケジュール帳に美穂の落書きも残っていました」

 美穂さんは2002年に辻仁成氏(65)と結婚し、2004年に長男を出産。

「当時、周囲は美穂の結婚に反対していたようですが、私は自分の意志を貫くところが彼女らしいなと思いました。フランスへ渡り、母親になったと聞いて、昔から子どもが好きだった美穂は、念願だった自分の子どもを大事に育てたいんだろうな。いい母親になるだろうなと思いました」

 しかし、結婚生活は長くは続かず、美穂さんは2014年に離婚して帰国。親権は拠点をフランスに置く辻氏が持った。

「父親に引き取られて、息子さんも苦労した親の姿を近くで見ているわけですから、大変だったと思います。別れた本当の理由は当事者にしかわかりませんが、美穂が子どもを置いて行ってしまったみたいな形になってしまっているのが、とてもかわいそうですし、残念ですね。

 将来、美穂の息子さんが結婚して孫が生まれたら、かわいいおばあちゃんになるんじゃないかなと想像していました。いつか息子さんも“美穂はあなたを大切にしていた”ということをわかってくれる日が来ることを願っています」

「美穂は自分の人生を懸けた娘」と、語る“芸能界の父”の声は海の向こうへ届くだろうか。

 

著・山中則男/中山美穂『C』からの物語/青志社

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