調和する唐様と和様=島谷弘幸

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 <文化の森 Bunka no mori>

 江戸時代末期の能書として、江戸で活躍していた市河米庵と巻菱湖に上方で活躍していた貫名菘翁(1778~1863年)を加えた3人を“幕末の三筆”と呼んでいる。いずれも、中国風の書である唐様の能書で、明治期以降にも大きな影響を与えた。

 菘翁は阿波藩の家臣で弓術指南を務めた吉井直好の次男。書を西宣行に、並行して母方の叔父である矢野典博に絵を学んだ。彼は高野山で学んだ後に大坂の懐徳堂に入門し塾頭も務めている。34歳の時に京都で須静堂を開いて儒学を教えた。現在、書家・画家として著名な菘翁であるが、幕末に編纂(へんさん)された「平安人物志」では儒者・詩人と注記されるように、儒学に加えて詩も能(よ)くした。

 書では、彼の数多くの臨書作品から、中国の東晋に活躍した王羲之の文字を唐時代の僧である懐仁が集めて『聖教序』を編集した「集字聖教序」、あるいは唐時代の孫過庭の書論である「書譜」、「円珍関係文書」にある円珍の中国での旅行を許可する鄭審則の書などの中国書法を手本として学んだことが知られる。また、注目すべきは、空海をはじめとする平安時代の日本の名筆をも学んでおり、唐様の書に和様をも加味した独自の書風を確…

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