戦時下の日本、橿原神宮で「建国奉仕隊」 人々の笑顔の真意は

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「橿原神宮と建国奉仕隊」に収録された作業中の写真。子供たちや母親、隊歌を歌う青年らが写り、「愉快そうに」の見出しがつく 拡大
「橿原神宮と建国奉仕隊」に収録された作業中の写真。子供たちや母親、隊歌を歌う青年らが写り、「愉快そうに」の見出しがつく

 日中戦争下の1938年4月、国家総動員法が公布された。あらゆる経済活動、国民生活を戦争遂行の一点に振り向けるために、国家が経済や社会を統制できるようにした。その中で、国力を結集させる重要な“装置”として威力を発揮したのが、神武天皇をまつる橿原神宮(奈良県橿原市)だ。紀元2600(1940)年の記念事業として橿原神宮や周辺を整備・拡張させようと38年6月8日、「建国奉仕隊」が、三島誠也知事を統監に据えて結成され、507日にわたって実に7197団体の延べ121万人を動員した。

 「橿原神宮と建国奉仕隊」(40年刊)という本がある。著者は一連の整備事業のうち土木工事の事務所長を務めた内務省技師の藤田宗光氏。興味深いことに印刷所は阪神急行電鉄で、建国奉仕隊は県と某大手新聞社が主導した。内地だけでなく、外地からも人々を引きつけた国民的一大イベントだった。

 この本はたくさんの写真を収録している。意外なのは人々の表情が明るく、活気が伝わってくること。子供たちは笑顔でスコップを振るい、舞台上の青年らが隊の歌を合唱する。ずらりと並ぶ「神戸母の会」の婦人たちも壮観だ。「愉快そうに」と見出しを打っている。

 奈良大の森川正則准教授(日本現代史)はこの本を市民向けのウェブ講座で教材として使った。「日中開戦が37年。だれ気味になっており、国民生活も息苦しくなった。くしくも皇紀2600年というチャンスが来る。戦争は国が旗を振るが、自治体や企業もさまざまな思惑で加勢した」と話す。

建国奉仕隊旗。旭日に八咫烏(やたがらす)がはばたく 拡大
建国奉仕隊旗。旭日に八咫烏(やたがらす)がはばたく

 「報国観光」という言葉がある。橿原神宮や伊勢神宮を参拝して臣民としての意識を高めつつ観光を楽しむ。「観光の大和」1巻1号(38年1月刊行)には「時局柄観光を遠慮するといふのは非常な間違いであって、むしろかかる際に進んで奈良県の観光の特異性を宣伝し認識せしむることが銃後の務(つとめ)として肝要」と記す。

 「特異性」の最たるものは、国体の礎である橿原神宮の存在、そして天皇を生んだ「大和」の地そのものを意味する。県は地域振興としての報国観光に期待を寄せ、印刷所の阪神急行電鉄も旅客数が伸びる。新聞にとって戦争記事はキラーコンテンツであり、各社が報道合戦を演じた。「いわば戦時下のGoToトラベル」と森川准教授は表現する。

 緊張感が漂う写真もあるが、多くは人々から笑みがこぼれている。この明るさについて森川准教授は「『笑って』と言われて笑顔を作った人もいるだろうが、本心だった人も少なくないのでは。団体での奉仕が息抜きになっただろうし、旅行を伴う戦時下のアミューズメントだった」と指摘する。

 戦争というと太平洋戦争以降の4年を想起しがちだが、その前に日中戦争の4年があり、かなり雰囲気が違う。森川准教授は「中国から帰国した兵士が国内の明るい雰囲気に拍子抜けしたという証言は少なくない。戦争の実相を知るには、明るさと活気もうかがえる前半と、刻々と悲惨さが増し破滅へと向かう後半の両方を知る必要がある」と話した。

 ファシズムの語源はイタリア語の「ファッショ」(束ねる)。先の戦争は、国が旗を振り、国民が踊らされたという見方だけでは捉えきれない。天皇が国民を強力に束ね、「国民みんなの戦争」が推し進められた面もある。建国奉仕隊からその団結ぶりが伝わってくる。【大川泰弘】

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