「印税とかCMとか合わせて最高月収は800万円ありましたね」
「“YES”しか歌ってないですけど、僕も800万円でしたね(笑)」
こう語るのは、お笑いコンビ『クマムシ』の長谷川俊輔(39)と佐藤大樹(37)だ。長谷川が当時のブレイクっぷりを明かせば、佐藤も自虐っぽく返す。絶妙な掛け合いを見せる二人といえば、’14年、誰もが口ずさんだであろう『あったかいんだからぁ♪』の歌ネタが大ヒット。その人気はお笑い界だけにとどまらず、CDデビューを果たすや音楽業界でも数多くの賞を獲得。一躍時の人となった。
あれから10年以上が経過した今、『クマムシ』が立っているのは音楽の聖地・日本武道館……ではなく、お笑いの聖地・東洋館(東京都台東区浅草)だった。コンビ結成から今年で15年。彼らが今なお、お笑いの舞台に立ち続ける理由を語った。
ブレイク当時に見た「すごすぎる芸能界」
まずはブレイク当時を振り返った二人。その多忙ぶりは、想像を絶したものだった。
長谷川 ブレイク当時はすごかったですよ。1日のスケジュールで言えば、たとえば朝起きて青森に行って昼のイベントに出て、その日の夕方に鹿児島のイベント、それで東京に戻ってきて収録して、翌日には大阪から仕事がスタート……みたいな感じでした。休みはもちろんなくて、寝る時間を作るのも大変でしたね。
佐藤 そう。自分がどこにいるのか、わからないくらいだったね。
長谷川 日本中行ったけど、何を食べたかも覚えてないよね。そんなスケジュールの中、僕は毎日レコード会社と「メロディはこれでどうですか」とか「ここの歌詞をもうちょっと」とか打ち合わせしながら、新ネタも書かなきゃいけなかった。知らないでしょ? 俺がそんなにやってたの。
佐藤 うーん、何かやってたと思う(笑)。いや、嘘! 気づいてた、気づいてた!(笑)
長谷川 佐藤はたまーに来るんですよ、打ち合わせしてるところに。コーヒー片手にソファーに座って「いいね、やってるね」みたいな。でも、特にアイディアを出すわけでもなくて。それなのにギャラは折半なんですよ! おかしいですよ。なんか今でも腹立ってきたな。
佐藤 おかしくないでしょ! 何年その話を続けるのよ?

長谷川 あと、当時は毎日知らない人が挨拶に来ました。どんどん周りに人が増えていきましたね。ただ、全然時間がなくて、お金を使う暇も遊ぶ暇もなかったです。
佐藤 そうね。だから印税とかの『あったかいんだからぁ♪』貯金がまだ残ってますね。
長谷川 そういえば、俺は某アーティストさんがお店を貸し切ったパーティーに呼ばれたら、そこにHIKAKINくん(36)とかがいて驚いたことがあります。自分も芸能界の一員みたいな気持ちになりました。
佐藤 僕も某男性アイドルの方と飲みに行ったとき、「まだLINE使ってるの? 危ないから“これ”を使ったほうがいいよ」ってあるアプリを教えてもらいました。メッセージアプリなんですが、やり取りを全部消せるなど“遊びがバレない”ものだった。芸能人ってこうやって遊ぶのかって思ったね。
解散を考えた「収録現場での大喧嘩」

煌びやかな世界を垣間見た二人だったが、芸能界の移り変わりは早い。翌年にはテレビ露出が減り始め、最高で800万円あった月収も激減していった。一時は解散を意識したこともあったという。
長谷川 ’15年後半には安村さん(とにかく明るい安村・43)が出てきて、真っ黒だったスケジュール帳も少しずつ白いところが増えて……。そのうち平野ノラ(46)に厚切りジェイソン(39)、最終的にはブルゾンちえみ(35)が出てきた。ブレイクから一年半後には、一週間丸々休みなんてことが増えてきた。
佐藤 追い討ちをかけたのはやっぱコロナですね。テレビのレギュラーも営業も無くなって、仕事も収入も“完全にゼロ”になった。本当にヤバイと思いましたね。
長谷川 解散がよぎったこともあります。ただでさえレギュラーが減りつつあった中、あるレギュラー番組のディレクターさんと佐藤が喧嘩したことがあって。その番組は唯一の関東レギュラーだし、事務所の先輩・ビビる大木さん(50)がやられていた番組だし、「なんで大事にしないんだよ」って佐藤に思って。そんで二人で喧嘩したんですよね。その瞬間は「あ〜〜俺、今後大丈夫かな」って思ってしまった。
佐藤 喧嘩というか長谷川に諭されたね。そのディレクターさんとはいろいろあったんですけど、「佐藤が間違ってるとは思わないけど抑えろ」って言われましたね。ただ、僕は解散したら終わりなんで(笑)。だって長谷川の「あったかいんだからぁ♪」で売れてますから! 僕が「あったかいんだからぁ♪」ってやったって伝えられないし、付いていくしかないんですよ。だから解散っていう選択肢は僕にはないですね。
長谷川 って言ってますけど、今は俺より佐藤のほうが「あったかいんだからぁ♪」をやってますからね、漫才以外の場所で(笑)。

収入ゼロというどん底を味わった二人。それでも解散することなくやってきたのは、やはり根っこに「漫才への想い」を持ち続けたからだという。這い上がるべく二人が選択したのは、“お笑い”に全てを捧げることだった。
佐藤 実は今、週3日くらいでトレーナーをやってます。ビリーズブートキャンプみたいな感じの体を動かすオリジナルのメニューで。「特別なスープ(汗のこと)をかきましょう」とか言いながら「あったかいんだからぁ♪」の曲をかけてやってます!
長谷川 実は、僕も熱波師を始めました。どこか一店舗でやると、噂が広まってダイレクトメッセージで「ウチにも来てほしい」って言っていただいて。今ではいろんなサウナでやらせてもらってます。
佐藤 一見するとお笑いを諦めたのかと思われがちですが、僕らの考えとしては真逆です。どっちもお笑いにつなげるための“芸の肥やし”としてやってるんです。一発屋会の先輩で髭男爵のひぐちさん(ひぐち君・51)がワインエキスパートの資格を取ったり、皆さん副業からお笑いの仕事につなげてるんですよね。僕たちもそれに感化されて熱波師とトレーナーを始めたんです。確かに副業ですけど、お笑いの仕事を増やすのにつながっているイメージですね。
長谷川 でも一個だけ不満があって。ネタ合わせの時とか5分くらい遅れてきて、プロテイン飲みながら「どんな感じ?」とか言ってくるんですよ。東洋館の楽屋でも飲んでるもんね。いつか怒られればいいのに(笑)。
佐藤 いいでしょプロテイン飲んでも! 来年の夏の大会に向けて鍛えてるから! 当時は“冷た〜いほう”なんて言われてましたけど、今は相方よりも“あったか〜いほう”を目指して頑張ってます(笑)。
苦楽を乗り越えた二人が描く「野望」
毎年欠かさず出続けている『M-1グランプリ』も、来年でラストイヤーとなる。今年ももちろんエントリーするが、二人の目標はさらに先にあった。
長谷川 去年、『ナイツ』塙さん(宣之・47)から漫才協会にスカウトされて、今はよく東洋館に出させてもらっています。楽しいんですよね。新しい居場所を見つけた感じで。
佐藤 うん。自信がつきましたね。修学旅行の中学生から高齢者の方までウケるんですよ。僕らもまだまだやれるんだなって、確信を得た場所ですね。
長谷川 売れた頃は「結局芸人じゃなくてアーティストでしょ?」とか言われ、売れなくなったら「アーティストなのか芸人なのか中途半端」とも言われましたけど、あの歌は歌で僕は一生の宝だと思っているんです。今は伝統ある東洋館の舞台で芸事をできているので、やっとちゃんと漫才師になれた気がしますね。
佐藤 お互いにクマムシとしてやりたいことがあったり、二人とも「THE SECOND」で結果を出したいとか目標があったり、だから今は視界がクリアなんです。
長谷川 軸は漫才師です! これは二人の共通点なんで!
佐藤 うん。うん。
長谷川 まぁその前に『M-1』頑張れって話なんですけど(笑)。
再び栄光の景色を求め、選び続けてきたクマムシ。誰よりも“自分たちらしく熱い居場所”を見つけ、さらに“あったか〜く”なった二人が賞レースで結果を出す日も近いはずだ。

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