アジアの「死の鉄道」に動員された無名労働者 戦後80年の慰霊

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泰緬鉄道の工事に動員された連合国軍の捕虜たち=ミャンマーで1942年7月19日撮影
泰緬鉄道の工事に動員された連合国軍の捕虜たち=ミャンマーで1942年7月19日撮影

 今年1月、タイ西部カンチャナブリを流れるメークロン川の川面に、灰色の遺灰がゆるやかな流れに乗って広がっていった。マレーシア出身のタミル人、シルバ・クマルさん(65)は、その様子を静かに見守っていた。

 この日行われたのは、第二次世界大戦中、タイとミャンマーを結ぶ「泰緬(たいめん)鉄道」の建設工事で命を落とした、アジア人労働者らのものとみられる遺骨の散骨だった。

戦時中に日本軍が建設

 泰緬鉄道は日本軍が前線への物資補給などを目的に1942年に建設を開始した。英国やオーストラリアなどの連合軍捕虜約6万人と、「ロームシャ」とも呼ばれたアジア各国の労働者数十万人を動員し、全長約415キロを1年数カ月ほどで完成させた。過酷な労働やマラリアなどの病気、飢えにより多くの人が苦しみ、「死の鉄道」とも呼ばれた。全容は不明だが犠牲者は約10万人とも言われる。

 ロームシャの中で多数を占めたのが、日本軍に占領された旧英国領マレー半島(現マレーシア)から動員されたインド系のタミル人だった。

 慰霊はタミル人が信仰するヒンズー教にのっとって行われた。火葬後、遺灰を川に流すことで魂が苦しみから解放されると信じられている。終戦から80年、クマルさんは犠牲者に静かな祈りをささげた。

 「この遺骨の人々が誰で、何人いて、なぜ亡くなったのかも分からない。それがとても悲しい」

 クマルさん…

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