「ぬれぎぬ」語源の伝承は福岡に 憎しみが生んだ父娘の悲劇

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福岡市博多区の国道3号沿いにある「濡衣塚」=同区で2025年6月4日午後1時22分、松本光央撮影 拡大
福岡市博多区の国道3号沿いにある「濡衣塚」=同区で2025年6月4日午後1時22分、松本光央撮影

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さかのぼること1300年前

 身に覚えのない罪を示す「ぬれぎぬ」という言葉があるが、その語源になったとされる伝承が福岡にある。

 福岡市博多区千代の国道3号沿いにある石碑=写真=の名は「濡衣塚(ぬれぎぬづか)」。約1300年前に起きた悲劇が言い伝えられている。

 江戸時代の儒学者、貝原益軒がまとめた地誌「筑前(ちくぜん)国続風土記」によると、聖武天皇の時代の8世紀、筑前国司に赴任した佐野近世(さのちかよ)に娘がおり、近世の後妻(娘の継母)は娘を憎んでいた。ある日、継母は漁師に金品を渡して「娘が釣衣(つりぎぬ)を盗んだ」と訴えさせた。寝ている娘と釣衣を見た近世は逆上し、娘を斬ってしまったという。

 後に、近世の夢に出た娘が無実を訴える歌を詠み、近世は継母が娘に無実の罪を着せたことを知る。近世は出家し、娘を供養する墓を建てた。その後、南北朝時代の1344年に建てられた石碑が濡衣塚とされている。

 福岡市博物館(同市早良区)によると、ぬれぎぬが無実の罪という意味で使われるのは平安時代の歌物語で確認されるという。その後、鎌倉から室町時代にかけた歌物語の講釈の中で、語源に筑前を舞台にした伝説が言われるようになった、とみられる記録が残っている。

 その後、伝説は「筑前国続風土記」などに記され、今に伝えられている。同館学芸員は「江戸時代以降、石碑が濡衣塚として地域住民に大切にされていることが意義深い」と話す。

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