原爆の「日時」正しく言えますか? その日にち、時間が意味するもの

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 80年前の夏、広島と長崎に落とされた原子爆弾。あなたはその日にちと時刻を正しく言えますか? 長年、被爆者や災害被災者の取材を続けてきた高尾具成記者はそう問いかけます。被爆者はその時間、どこで誰と、何をしていたのか。それを想像し考えることが、被爆者一人一人を身近な人間としてとらえ、原爆の実相を学んでいくことにつながるからです。

長崎の「時刻」特に正答率低く

 「1945年の夏、米軍により、広島と長崎に原子爆弾が落とされました。その日付と投下された時刻を書いてください」。約5年前、関西のある大学で講義を受け持った際、当時20歳前後の学生たちにお願いした。「広島8月6日午前8時15分。長崎8月9日午前11時2分」。そう正解したのは回答者74人のうち7人。46人は両投下日については正しく記した。他の28人は広島原爆の日時だけだったり、投下時刻に誤りがあったりした。特に長崎原爆については空欄が目立ち、気になった。

 91年に記者になり、初任地は広島だった。以後、数多くの原爆被爆者の体験を伺ってきた。証言を聞く中で教えられたことの一つが「原爆が落とされた時刻は大事」ということだった。

 今回、この原稿を書くに際して、長崎市は近年、「午前11時2分」を「投下時刻」から「さく裂した時刻」へと記述を変えていることを学んだ。投下時刻の根拠となる資料がなく、原爆がさく裂し、被害が確認され始めた時間というのが、より実相に近いことなどが理由という。

 戦局が厳しさを増した43年から、大学生は「学徒出陣」で戦地へ駆り出された。一方、国民学校高等科や中等学校に通う10代の児童・生徒も、「学徒動員」として軍需工場などでの作業を担わされ、学ぶ機会を奪われた。

 45年8月6日、広島では動員中の約2万6800人の生徒らのうち、7196人が原爆により死亡、引率者265人も亡くなったと記録される。死亡した生徒らの約82%は、火災被害を低減する目的で木造建築物を壊して防火帯を作る「建物疎開」の作業に従事していた。午前8時15分は、その日の作業に取り掛かり始めた時間だった。

誰がどこで何を 想像の手掛かり

 原爆投下時刻の重要性は、ノーベル平和賞の受賞演説をした日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、田中熙巳さん(93)=埼玉県=から、20年以上前に教わった。田中さんは長崎で被爆し、親族の安否確認をしようと爆心付近を歩いた。「時刻は重要です。どんな気象条件下で放射能が広がったのかなどの科学的な側面だけでなく、それぞれの被爆者がどこで何をしていて、誰といたかなどは、原爆の実相を伝える上で、想像してもらう手掛かりになるからです」

 長崎で被爆した財城アキ子さん(91)=福岡県=は「午前11時2分は、平日のお昼前で家族の居場所がばらばらな人が多かったんですよ。私は5歳の弟と防…

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