日大三の野球は、どこか昭和の匂いがする。
全国高校野球選手権でチームを率いる51歳の三木有造監督の指導方針は「ガッツ・気合・根性」だ。「打席に立てば、最後は気持ちがすべて」と考える。
一方で、エースの近藤優樹(3年)を「コンちゃん」と呼び、選手交代に悩めば選手に相談して決めることも多い。選手からは「三木さん」と呼ばれる。
選手間では下級生に敬語を使うよう求めておらず、入ったばかりの選手が驚くほど、気軽に話し合える。チームの雰囲気は「昭和の匂い」とは無縁だ。
それは小倉全由(まさよし)前監督(68)と一緒に築いてきたものだ。
日大三では捕手としてプレーし、東洋大を卒業した三木監督は、同じ東京の強豪・関東一から1997年に日大三にやってきた小倉さんを、その年からコーチや野球部長の立場で支えてきた。
2001、11年に夏の甲子園優勝に導いた小倉さんが23年春に退任する際は「小倉さんあっての指導者人生」と考え、一緒にやめるつもりだった。しかし、残された選手への責任も感じて後任監督を引き受けた。
実績を残した前任者からバトンを引き継ぐことには「重圧は全くなかったですね」と話す。そう思えたのは、「土台」が固まっている安心感があったからだ。
強固な土台の一つが、「強打の三高」と呼ばれる野球スタイルだ。それが全国に知れ渡ったのは11年夏。全6試合で2桁安打を記録し、4試合で2桁得点と打ちまくった。
当時2年生で、背番号13を付けて準決勝で先発登板した斉藤風多さん(30)は「投手だろうが関係なく、とにかくバットを振りました」と振り返る。指導してくれた2人については「小倉さんがお父さんなら、三木さんは兄貴って感じでした」と表現する。

今の3年生は入学時から三木監督体制で過ごした最初の年代で、三木監督は「私にできることは、練習量を増やすことくらいなので」と事もなげに言う。
伝統の強打をパワーアップさせ、「今年の3年生は特に練習しました」と言い、主将の本間律輝(3年)は「どこよりもバットを振ってきた」と断言する。
今大会は初戦こそ4安打にとどまったが、その後は15安打、9安打、12安打と代名詞の「強打」は健在だ。4番の田中諒(2年)は24年春に低反発バットが導入されて以降、甲子園大会で初めて複数の本塁打を放った選手になった。
甲子園で迷いなく強振する日大三のベンチの最前列には、時に笑顔で指示を出す三木監督がいる。選手と監督が家族のように信頼し合いながら白球を追う姿は、「長い夏」になった今年も、前体制と変わらない。【川村咲平】
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