原爆投下から80年の節目を迎えた翌日の7日、市民グループのフィールドワークに同行して金輪島(広島市南区)を巡り、忘れてはならない戦争の記憶と爪痕をたどった。
広島港から船で10分ほどの島には戦時中、陸軍船舶司令部(暁部隊)の工場があった。動員学徒が作業に駆り出されていた。原爆投下直後には500人ともされる負傷者が運ばれ、その多くが命を落とした。
島の西側には、犠牲者を悼んで「御霊 安かれ」と記された石碑がひっそりと建つ。この島で父を亡くした兄弟が1998年に私費で建立し、慰霊の集いを続けてきた。高齢で執り行うことが難しくなり、今夏は集まった有志で献花した。これから、誰が、どうやって碑を守っていくのだろうか。
島の主要部分を占めていた軍施設は戦後に造船所になり、住民の多くは工場の従業員だ。戦時下に築かれた防空壕(ごう)やトンネルなどの遺構、古びた井戸や神社などが往事の名残をとどめる。忘れられた戦跡にしてはならない。【宇城昇】
Comments