
「率直で熱のこもった議論があり、高い出発点、高い質、そして高いレベルのフォーラムになった。日本と中国で人的文化交流の手本になると確信している」
7月27日、日中の研究者ら約50人が集まり北京市内のホテルで開かれた「日中友好人的・文化交流フォーラム」。閉会式で主催団体の一つ、「中国人権発展基金会」の周樹春・常務副理事長があいさつをすると、会場は拍手に包まれた。
フォーラムは日本の公益財団法人「日中友好会館」と基金会の共催で、24年に続き2回目。岩屋毅外相が同年12月の訪中時、中国の王毅外相らと「有識者交流の機会拡充」で一致したことを踏まえ、企画された。
こうした日中交流の会議には、政治や外交、安全保障の専門家が登場するのが通例だ。しかし今回は、日本から社会保障、博物館学などさまざまな分野の研究者が参加。中国側も、中国社会科学院日本研究所の研究員らを中心に、国際人権法、人口問題など多岐にわたる専門家が集まった。
参加者をアレンジした加茂具樹・慶応大教授(現代中国政治)は「日中の共通課題を見つけ出す」ためだと説明した。
議論は日中の参加者が交互に、自身の研究内容や意見を発表する形で進んだ。双方が抱える社会保障や少子高齢化の問題も俎上(そじょう)に上り、次第に熱を帯びていった。
特に盛り上がったのは、後半、日中双方の専門家が終戦から80年になることを踏まえ、2国間関係の歴史に触れたところだった。
「国際連盟に代表される世界の新たな主張を理解できず、中国のナショナリズムに対する知識を欠き、中国に侵略し、中国国民に多大の損害と痛みを与えた。この時期の日本の政策は、徹底的に間違っていた」
日中友好会館の宮本雄二会長(元駐中国大使)は、1929年に起きた世界恐慌に端を発する変革期での日本の対応は失敗だったと指摘。現在も大変革期にあるとして、日中で共通の利益を追求する「戦略的互恵関係」が鍵になると主張し、「ルールに基づく現行国際秩序を改善し、補強するために協力し合う」ことが重要と強調した。
一方、中国社会科学院日本研究所の楊伯江所長は、終戦(45年)や中華人民共和国成立(49年)から、日中国交正常化(72年)に至るまでの二十数年間が両国の「人格形成期」だったと分析。この時期に関係が断絶されていたことが2国間関係に影響を与えているとして、日中が「近いようで遠い、よく知っているようでよく知らないような関係だ」と指摘した。
その上でこうした状態を解消しつつ、アジア太平洋地域の安全保障環境の悪化を防ぐ協力や、研究者間の理性的な対話を進めるべきだと語った。
休憩を挟み約7時間にわたる議論を経て、会場は熱気に包まれ、双方の主催者は互いに再度の開催を誓い合った。傍聴者の一人は「形式的な議論にとどまらず踏み込んだ発言があり、面白かった」と振り返った。
成功裏に終わったフォーラムだが、開催には、ある目的があった。…
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