
ヒロシマの夏がまた巡ってきた。
街のあちこちで、慰霊や追悼の行事が営まれる。そこは集った人たちが「忘れてはならないもの」を受け取り、つなぐ場でもある。
参議院選挙の投票日だった20日、私(記者)は母校の広島県立広島国泰寺高校(広島市中区)で執り行われた旧制広島一中の慰霊祭を取材していた。
校内の一角にある「追憶之碑」には、原爆の犠牲になった生徒353人と教職員16人の名が刻まれている。
広島一中は爆心地から約800メートル。登校していた生徒や、学校近くで建物疎開の作業を始めていた生徒が、閃光(せんこう)と熱線に直撃された。
毎年7月下旬の日曜日に慰霊祭があり、遺族や当時の在校生のほか、同窓会や学校関係者が出席して花を手向ける。
朝から日差しは強かった。同窓生の一人として取材を兼ねて参列した。カメラを肩にかけて立っていると、高齢の女性から「昔の先生をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?」と話しかけられた。
語り始めた女性
自分は同窓生だが、新聞記者として取材に来ています――。そう明かすと、女性は「父は一中の教員だったんです」と語り…
Comments