
ノーベル賞作家、大江健三郎(1935~2023年)に挑戦する。初めて読むなら何がいいか。大江研究者の大谷大講師、北山敏秀さん(40)が薦めてくれたのは「死者の奢り」。作品を包み込む奇異な世界を読み解く。【三角真理】
舞台は大学医学部の死体処理室。お金が欲しい「僕」はここでのアルバイトに応募する。その仕事は、水槽の中でアルコール漬けになった死体を新しい水槽に移し替えること。「僕」はバイトで出会う人たちとのやりとりを通じて社会や自分のことを考える――。
「冒頭から一気にひきつけられる」と北山さんは言う。死者たちが腕を絡ませ合ったり、ささやき合ったり、とまるで死体が息を吹き返して生きているかのようにうごめいている場面のことだ。奇怪でおどろおどろしささえ感じる。しかし強烈な印象を持たせるからこそ、「この作品は、死者が何かを発し、何かを伝えるのだろうと予感させる」(北山さん)。
では、死者は何を伝えるのか。
北山さんが注目するのは、たくさんの死体が浸る「水槽」。この水槽は戦前から掃除されないままで、底にいくほど古い死体がある。「水槽は時間の積み重ねを示す」と北山さんはみる。また、この処理室の管理人は勤務歴30年で、「僕」が知らない時代を知る人。さらに死体の中には、戦争で命を落とした兵士の姿もある。「僕」は処理室の中で、戦争、歴史そして政治の問題に取り囲まれ、これまでそれらに無関心だったことを突きつけられる。
「僕」は人間関係についても問われる。人嫌いで、他者とのコミュニケーションを避けてきた「僕」だが、不思議と死者とはうまく対話ができる。なぜか。北山さんが解き明かす。「実は死者と対話しているというのは『僕』の妄想であって、頭の中で好きなように作り上げた対話にすぎない」
しかし、他者とうまく会話できた!と錯覚している「僕」は、生きた人間と話すとやっぱりうまく会話ができず、これまで以上にやるせなさを感じる。
追い打ちをかける…
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