
「私たちの踊りの一こま一こまが平和の叫びそのものです」
日本を代表するバレリーナの森下洋子さんは平和への祈りを胸に踊り続けている。
舞踊歴74年に及ぶキャリアを支えるのは、「バレエが好き」という純粋な思い。
そして、被爆した祖母から受け取った信念だ。
踊りに無我夢中
原爆投下から3年後の1948年12月、広島市で生まれた森下さん。7月4日、日本記者クラブ主催の戦後80年をテーマにした記者会見で、自らの原点を語り始めた。
森下さんの母と祖母は被爆者で、自身も「原爆の影響か分かりませんが、体が弱かった」と振り返る。
3歳の時、自宅前の小さなバレエ教室に通い始めた。健康な体作りが目的だったが、バレエとの出合いが森下さんのその後の人生を大きく変えていく。
「何も分からないで始めたけど、一気に、一直線に、好きになりました。無我夢中の夢心地になったのを覚えています」
後に天才少女と呼ばれるようになるが、バレエを始めたばかりの頃は不器用で覚えが遅く、先生にしょっちゅう注意されていた。しかし、そんなことは意に介さず、ただ踊る楽しさにのめり込んだ。
練習を繰り返すと、できなかったことができるようになる。目を輝かせて踊る娘の成長に、母はいつも「良かったね」と拍手してほめてくれた。
祖母からのプレゼント
「やれば必ずできる」
3歳にして信念めいた思いが森下さんの心に宿った。その思いを呼び覚ましたのが祖母だった。
祖母は原爆で左半身に大やけどを負い、手の指はくっついてしまっていた。一時は生死の境をさまよい、治療を受けていた兵舎ではお経を上げられたという。
森下さんの家庭で原爆について語られることはほとんどなかった。だが、祖母が「私はお経まで上げてもらったのに生きていられるのよ」と明るく笑って話す姿が印象に残っている。
「生きていることへの喜びと感謝を、孫の私たちに…
Comments