舞台の上から平和を叫ぶ バレリーナ・森下洋子さん、魂の踊りの原点

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バレエや平和への思いを語る森下洋子さん=東京都千代田区で2025年7月4日、河慧琳撮影
バレエや平和への思いを語る森下洋子さん=東京都千代田区で2025年7月4日、河慧琳撮影

 「私たちの踊りの一こま一こまが平和の叫びそのものです」

 日本を代表するバレリーナの森下洋子さんは平和への祈りを胸に踊り続けている。

 舞踊歴74年に及ぶキャリアを支えるのは、「バレエが好き」という純粋な思い。

 そして、被爆した祖母から受け取った信念だ。

踊りに無我夢中

 原爆投下から3年後の1948年12月、広島市で生まれた森下さん。7月4日、日本記者クラブ主催の戦後80年をテーマにした記者会見で、自らの原点を語り始めた。

 森下さんの母と祖母は被爆者で、自身も「原爆の影響か分かりませんが、体が弱かった」と振り返る。

 3歳の時、自宅前の小さなバレエ教室に通い始めた。健康な体作りが目的だったが、バレエとの出合いが森下さんのその後の人生を大きく変えていく。

 「何も分からないで始めたけど、一気に、一直線に、好きになりました。無我夢中の夢心地になったのを覚えています」

 後に天才少女と呼ばれるようになるが、バレエを始めたばかりの頃は不器用で覚えが遅く、先生にしょっちゅう注意されていた。しかし、そんなことは意に介さず、ただ踊る楽しさにのめり込んだ。

 練習を繰り返すと、できなかったことができるようになる。目を輝かせて踊る娘の成長に、母はいつも「良かったね」と拍手してほめてくれた。

祖母からのプレゼント

 「やれば必ずできる」

 3歳にして信念めいた思いが森下さんの心に宿った。その思いを呼び覚ましたのが祖母だった。

 祖母は原爆で左半身に大やけどを負い、手の指はくっついてしまっていた。一時は生死の境をさまよい、治療を受けていた兵舎ではお経を上げられたという。

 森下さんの家庭で原爆について語られることはほとんどなかった。だが、祖母が「私はお経まで上げてもらったのに生きていられるのよ」と明るく笑って話す姿が印象に残っている。

 「生きていることへの喜びと感謝を、孫の私たちに…

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