米軍の焼夷(しょうい)弾攻撃を受け約2500人が死傷した八幡大空襲から80年を迎えた8日、北九州市八幡東区の小伊藤(こいと)山公園の慰霊塔前で慰霊祭が開かれ、多くの市民が参列した。
会場一帯にはかつて小伊藤山という小山があり、横穴防空壕(ごう)が掘られていた。大空襲で逃げ込んだ市民約300人が窒息などで亡くなったとされる。
慰霊祭は聞き書きボランティア「平野塾」などの主催。平野塾の出来谷道保代表が「この機会にどうすれば平和が続くのか考えていただければ幸いです」とあいさつした。参列者の黙とうに続き、九州国際大と八幡医師会看護専門学院の学生が犠牲者のうち名前が分かっている101人を読み上げた。
当時中学生だった青木道雄さん(94)が、大空襲翌日に学校に負傷者が運び込まれる様子などを描いた絵を示しながら「絵に温度、声、においが表せなかった」。1日経過しても周囲に青白い炎が上がって校舎には熱風が吹き込み、苦しむ人の声が充満していたなどと惨状を振り返った。
平野塾は「次世代への継承」を目指して若い世代と交流しており、九州国際大4年の知念杏美さん(22)と県立八幡中央高3年の伊藤百那さん(17)があいさつに立った。
沖縄県南城市出身の知念さんは、90歳近い祖母から「父母ときょうだい4人が沖縄戦で亡くなった」「空襲警報が鳴り響き、空が戦闘機で真っ暗になっていく瞬間を昨日のことのように覚えている」などと聞かされてきた。「若い世代が記憶をどう受け取り、伝えるかが大切。自分に何ができるか。本当の戦争とは何か。向き合い考えたい」と述べた。伊藤さんは「平和に真剣に向き合い考え続けたい」などと話した。
その後、「八幡大空襲を伝え、平和の青空がいつまでも続くことを願う」などとすると不戦の誓いがあり、参列者が慰霊塔に向かって献水した。【宮本勝行】
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