
千葉県成田市の公園の地下に、宮内庁内で「御文庫(おぶんこ)」と呼ばれた皇室の防空壕(ごう)が残されている。当時皇太子だった上皇さまのために造られ、1941年12月8日、太平洋戦争開戦の日に完成した。分厚い鉄筋コンクリートは、戦後80年を迎えた今も劣化が進んでいないという。2024年に国の登録有形文化財に指定され、再び注目を集めている。
防空壕は、成田空港ができるまで宮内庁下総御料牧場があった「三里塚記念公園」の地下5・2メートルにある。
鉄筋コンクリート造りの施設で広さは計約69平方メートル。主室の両脇には約2・6平方メートルの前室(小部屋)があり、分厚い鉄製扉で仕切られている。防空壕付近で爆発があった際に、爆風から主室を守るためとみられる。
広さ約11平方メートルの主室内は静かで、空港のそばなのに航空機のエンジン音さえ聞こえない。アーチ型の天井には照明が備えられ、コンセントや電話回線の差し込み口もある。
「ひんやりするでしょう」。ガイドの糸川勝啓さん(76)に促されて温度計を見ると19度。この日の気温は約28度だった。
「クギ1本露出させない」
建設は秘密裏に進められ、戦後も詳細は不明だったが、施工を請け負った間組(現安藤・間)の「百年史」(1989年発行)に記録が残っていた。

戦況の悪化を受けた「本土防衛工事」の項目に「三里塚の皇太子殿下用防空壕工事」の記載があった。「殿下もここ(三里塚の御料牧場)で馬に親しんでおられた関係で、イザという時の退避施設をつくることになった」という。
「入り口には5トンの重さの扉」「鉄筋は太さ25ミリのものを10センチごとに結束した頑丈なもの」が使用された。「クギ1本露出させてはならなかった」「1カ月ぐらいの施工期間中、地下足袋を脱いで寝るひまもなかった」と、工事の苦労も記されている。
厚さ70センチ
市の調査で、床や壁、天井を覆う鉄筋コンクリートの厚さは約70センチあった。その強度は、30階以上の高層ビルに使用するコンクリートと同水準であることが分かっている。
「できてから80年以上たっているのに、しっくいが塗られた鉄筋コンクリートの壁にひび一つなく、地下5メートルでも結露一つ見られない。みなさん驚かれる」と糸川さん。よく建築関係者が勉強のために訪れるという。
だが、上皇さまは別の場所に疎開し、この防空壕が使われることはなかった。
戦後は御料牧場で採れた芋などの保管に使われていたとされる。御料牧場が栃木県に移転すると、防空壕がある一画は公園に。防空壕は長らく閉鎖されていたが、市が2011年から一般公開している。
糸川さんは「知っている人は全国から足を運ぶが、近くに住んでいても防空壕のことを知らない人が多い。一度訪れてみてほしい」と話している。
問い合わせは三里塚御料牧場記念館(0476・35・0442)。【合田月美】
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