「戦争が終わらなかったら…」 小松左京が考えた終戦の「もし」

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小松左京=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で1995年11月1日、三村政司撮影 拡大
小松左京=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で1995年11月1日、三村政司撮影

 「8月15日に太平洋戦争が終わらなかったら……」。そんな「もし」を考えたSF作家がいる。神戸一中(現兵庫県立神戸高)出身で神戸空襲も経験した小松左京(1931~2011年)だ。デビュー前に書いた短編小説「地には平和を」は、終戦直前に玉音放送が取りやめになり、本土決戦に巻き込まれる少年兵を描いている。

 小松は戦後、京都大に進み、経済誌記者、放送作家などを経て、1962年に作家デビュー。「日本沈没」や「復活の日」がベストセラーになった。

 「地には平和を」は61年に早川書房のSFを募集したコンテストに応募し、選外努力賞になった。

角川文庫「地には平和を」(小松左京ライブラリ提供) 拡大
角川文庫「地には平和を」(小松左京ライブラリ提供)

 犯罪者によって改変された歴史の中で、45年8月15日に日本が降伏せず、本土決戦を迎える。主人公は旧制中学に通う15歳の少年。動員された工場が空襲に遭い、招集され、敗北を重ねる。10月に米軍の宿営地を襲った時に肩を撃たれ、爆発に巻き込まれて意識を失うが、すんでのところで歴史の改変に気付いた5000年後の未来人に救われる――との内容だ。

 小松は創作の理由として、後のインタビューで、戦争末期に徴兵年齢が17歳に下げられたことを挙げている。「僕は戦後は大学まで行って、(中略)生き延びて幸せだった」とし、「沖縄の同世代の少年が戦闘員として銃を持たされて相当死んでいる。(中略)もしあのまま戦争が続いていたら、僕たちも同じことになってるんだ」と語り、「歴史的連帯」という気持ちで作品のテーマやタイトルが決まったと述べている。

 次男で作品管理をする「小松左京ライブラリ」代表の実盛さん(61)=神戸市東灘区=によると、小松は優しい父親で、「何を聞いても答えてくれた」が、戦時中のことはあまり話したがらず、思い出を語った時は憤りをあらわにムッとしていたという。作家となってから「戦争を書こうとしていたようだが、挫折している」と解説する。

 小松は戦争体験が作家になったきっかけと述べている。実盛さんは、小松と親しかった作家の野坂昭如が「火垂るの墓」などで自ら戦争体験を作品にしたのに対し、SFへと昇華させた小松は「戦争はこりごりだという思いが同じでも戦争への向き合い方が正反対だった」と語る。

 「地には平和を」は主人公が「本来の歴史」の中で家族との幸せなひとときを過ごす一幕で終わる。実盛さんは「短くて読みやすい一方、リアルな描写に引き込まれる。世界では今も子どもが戦場に動員されている。ぜひ主人公と同年代の中学生に読んでほしい」と話す。作品は角川文庫の同名の短編集などで読むことができる。【柴山雄太】

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