明治以降の鉄道にまつわる資料を通して和歌山の歴史をたどる企画展「わかやま鉄道物語」が、和歌山市立博物館(和歌山市湊本町)で開かれている。時刻表や記念切符、方向板、さらに観光案内や絵はがきなど114点。ほかに写真パネルも多数並ぶ。9月23日まで。
1898(明治31)年の「鉄橋ニ関スル除害同盟規約」は、南海鉄道(現在の南海電鉄)が和歌山市中心部に乗り入れるため紀の川に鉄橋を架けようとしたのに対し、両岸の村々が水害を引き起こすような架橋を許さないとの同盟を結んだことを示す記録。南海は同年、難波から和歌山北口まで開業し、架橋を経て1903(明治36)年に和歌山市駅に到達した。
また、加太(かだ)軽便鉄道(現在の南海電鉄加太線)による紀の川架橋工事の様子を捉えた14(大正3)年の写真は旧家から同館が寄贈を受け、初めて展示。この橋は現在、歩行者と二輪車専用の橋として通勤や通学に利用されている河西(かせい)橋だ。
戦後の53(昭和28)年に水害で鉄道橋としては使えなくなり、57(昭和32)年10月に人道橋として渡り初めが行われた。河西橋は幅が2・8メートルと狭く、老朽化が進んだため、上流側に近接して幅6メートルの新たな人道橋が架けられ、今月17日に開通する。新たな橋の全長は旧橋より5メートル短い473メートル。旧橋は追って撤去される。
かつては船に依存していた南紀との移動手段も鉄道が一変させた。現在のJR紀勢線は戦前から延伸開業を繰り返し、40(昭和15)年に和歌山から新宮に到達した。33(昭和8)年の「南紀情緒」は、鉄道・バスの連絡時刻表にカラーで描かれた海岸の情景が組み合わさり、白浜温泉への誘客を狙う。
このほか、釣り客を多く乗せて「太公望列車」と呼ばれた天王寺発名古屋行きの紀勢線の夜行普通列車が見える72(昭和47)年の時刻表など。問い合わせは同館(073・423・0003)。【鶴谷真】
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