戦争の犠牲になった芸術文化 広島で戦後80年に合わせた作品展開催

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原爆投下目標になった相生橋から見た広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)。広島のランドマークだった。1935年撮影
原爆投下目標になった相生橋から見た広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)。広島のランドマークだった。1935年撮影

 世界遺産の原爆ドームは1世紀余り前に産業振興の拠点として建てられ、美術展会場としても多く使われた。広島県立美術館(広島市中区)が戦後80年に合わせて開催中の所蔵作品展「戦争と美術、美術と平和」は、戦前に開かれた展覧会の出展作を紹介するコーナーを設け、戦後にヒロシマの象徴として描かれた作品も展示する。戦争の犠牲になった芸術文化を知り、惨禍を記憶する意味を問い直す企画となっている。

 原爆ドームは1915年、広島県物産陳列館として開館し、21年に県立商品陳列所、33年に県産業奨励館に改称された。チェコ人建築家のヤン・レツルの設計で、ドーム型の屋根が目立つ近代洋風建築は広島のランドマークだった。

 商工業品の展示会場としてだけでなく、県内最大規模だった広島県美術展や著名な画家の個展など、絵画や工芸などの展覧会が盛んに開かれた。同美術館によると、120回以上の開催を確認している。

戦前の原爆ドームを会場に開かれた美術展の出展作を紹介するコーナー。手前は当時の画家による座談会を記録した資料=広島市中区の広島県立美術館で2025年7月28日午後3時39分、宇城昇撮影
戦前の原爆ドームを会場に開かれた美術展の出展作を紹介するコーナー。手前は当時の画家による座談会を記録した資料=広島市中区の広島県立美術館で2025年7月28日午後3時39分、宇城昇撮影

 今回の企画は、同美術館の所蔵作品から90点以上を選んで構成。現在の原爆ドームで20~30年代に開かれた美術展の出展作品は6点を紹介している。

 うち1点は、戦後に連作「原爆の図」を制作した丸木位里の作品。36年に描いた「池」は緑色を多用した作品で、妻の俊と共作した「原爆の図」に代表される水墨の技法とは異なる。

 他の5点は別の画家が描いた静物画などで、丸木や靉光(あいみつ)ら県出身の画家が芸術論を交わした座談会の記録も展示。戦時色が濃くなる前の自由な表現活動の空気を伝える。

南薫造「元安川」(制作年不明)。完成して日が浅かった頃のドーム屋根は、赤い銅の色をしていたことが分かる=広島県立美術館提供
南薫造「元安川」(制作年不明)。完成して日が浅かった頃のドーム屋根は、赤い銅の色をしていたことが分かる=広島県立美術館提供

 40年代に入ると戦時体制が強まり、産業奨励館での展覧会は戦争賛美に傾いていく。最後の美術展は43年12月の聖戦美術傑作展で、藤田嗣治ら大家の戦争画が展示された。

 45年8月6日、広島の街は核の炎に焼き払われた。作品展の後半では原爆の記憶に向き合い、平和を希求した画家たちの作品が並ぶ。平山郁夫の「広島生変図」など、その多くに原爆ドームが描かれている。

 企画を担当した主任学芸員の神内有理さんは「戦前の原爆ドームはモダン都市の象徴だった場所。所蔵作品を見直して、たった数年で時代が激変したことに恐ろしさを感じる。失われたものの大きさと平和のメッセージを感じてほしい」と話している。

 所蔵作品展は10月5日まで。前期(8月24日まで)と後期(同26日から)で作品の入れ替えがある。フリートークデー(17日と9月21日)、ギャラリートーク(同21日)など関連イベントの詳細は、同美術館(082・221・6246)。【宇城昇】

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