
夏の甲子園に出場している沖縄代表の沖縄尚学には、3代続けて甲子園の土を踏んだ選手がいる。三塁コーチの田中彪斗(あやと)選手(3年)だ。父はプロ野球・阪神タイガースの1軍で今季から内野守備走塁コーチを務める秀太さん(48)。甲子園で同じ三塁コーチスボックスに立つ父のアドバイスを胸に、2回戦の鳴門(徳島)戦に挑む。
田中選手の祖父、久幸さん(2006年に59歳で死去)は熊本工の主将として1965年のセンバツに出場し、後に監督としても同校を甲子園に導いた。96年夏、決勝で松山商(愛媛)と対戦し、代々語り継がれることになる「奇跡のバックホーム」で優勝を阻まれた時の監督だ。

一方、父の秀太さんも熊本工の主将として94年のセンバツに出場。高校卒業後は阪神に入団し、内野手として活躍した。田中選手の名前はタイガースにちなんだという。
兵庫県芦屋市出身の田中選手は、小学1年から野球を始めた。小学生時代は投打の二刀流で活躍した根尾昂選手(現中日ドラゴンズ)擁する大阪桐蔭の大ファンで、何度も甲子園球場に足を運んだ。
「親元を離れて強いところでプレーしたい」と高校は沖縄尚学を選び、寮生活をしながら甲子園を目指した。レギュラーからは外れたものの、昨秋の九州大会から三塁コーチを任された。「得点に直接絡む大事なポジションだけに、走者を進めるかどうかの判断が最初は難しかった」と振り返る。

チームは今春のセンバツに出場し、田中選手は初めて甲子園の土を踏んだ。祖父、父と同じ舞台に立てたことがうれしかった。「小さい時から高校野球やプロ野球を見に甲子園に来ていたが、グラウンドから見ると広々としていて、他の球場とは全然違う。人も多くて特別な場所だと感じた」
センバツ初戦の青森山田戦で初めて甲子園のコーチスボックスに入って感じたのは、外野が広く、相手守備陣のポジションが深いのか浅いのか、距離感を把握しづらいことだった。そこで秀太さんに相談すると「外野フェンスの掲示広告を基準に外野手を見るといい」と助言してくれた。
そのアドバイスが生きたのが、この大会で優勝した横浜(神奈川)との2回戦だった。3点を追う三回2死一、二塁の場面で、宜野座恵夢選手が三塁線を破る適時打を放った際、左翼手のポジションや利き腕、打球が飛んだ場所を瞬時に見極め、一塁走者も還せると判断。グルグルと手を回して2者を生還させた。試合には敗れたが、「ナイスゲームだった」と秀太さんにねぎらわれたという。
比嘉公也監督は田中選手について「職人肌。最初は恐る恐るだったが、最近は判断に自信を持ててきている」と目を細める。
田中選手は「積極的な走塁で、勝つために最適な判断をして冷静にやっていきたい」と見据える。目標は、祖父が監督として成し遂げられなかった全国制覇だ。
14日は秀太さんもアルプススタンドに駆けつけて声援を送る。【山口響】
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