
20万人以上が命を落とした第二次世界大戦末期の沖縄戦。犠牲者のうち、沖縄県出身者に次いで多かったのは北海道出身者だということはあまり知られていない。若者たちはなぜ雪国から沖縄に向かったのか。戦局に左右された事情があったようだ。
遺族、最期をたどるも…
「なぜここに連れてこられ、死ななければならなかったのか……」
札幌市に住む松森英子さん(92)が2011年春、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」の前に初めて立った。
礎には24歳と21歳で亡くなった松森さんの兄2人の名前が刻まれている。
礎は古里の北海道帯広市から2300キロ以上離れた場所にある。
2人は1945年春に出征。旧満州(現中国東北部)を経由して沖縄戦に臨み、沖縄本島南部の激戦地で亡くなった。
遺族が把握しているのは、死亡通知書に記された亡くなった日時と場所のみ。2人がどのような最期を迎えたのかは分からず、遺骨は今も返っていない。
沖縄戦で2番目に多い犠牲者
25年6月現在で、沖縄戦での日本の犠牲者は22万7977人に上る。沖縄県出身者が大半を占め、14万9674人。北海道出身者は1万808人で、都道府県別で2番目に多い。
なぜ北海道からの犠牲者が多いのか。
明治大の山田朗教授(日本近現代史)は「計画性の欠如」が背景にあると指摘す…
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