第二次世界大戦の終戦から80年。1945年8月、日本政府は連合国の占領軍兵士向けの性的な「慰安施設」を全国に整備する計画を進めていました。「終戦直後に政府主導で慰安施設整備」を解説します。
Q 「慰安施設」って何なの?
A 占領軍の兵士の性の相手をするために女性を集めた施設です。日本政府主導で全国に整備し、数万人もの女性が動員されたと考えられています。
Q どうしてそんな施設が必要だったの?
A 政府は、日本を占領する軍兵士が「一般の婦女子」に性的暴行をするのを防ぐため、「性の防波堤」として慰安施設が必要だと判断しました。
Q いつからこの計画が始まったのかな。
A 昭和天皇が敗戦を発表した「玉音放送」からわずか2日後の8月17日、東久邇稔彦内閣が組閣初日の閣議で慰安施設の整備を話し合いました。警視庁の指導のもと、東京都では民間の接客業者7団体が特殊慰安施設協会(RAA)をつくり、女性の募集や施設の運営を担当しました。
Q 女性たちはどうやって集められたの?
A RAAが毎日新聞を含む全国の新聞に「女性従業員」の求人広告が出しました。また、警察が接客業などで働く女性を集め、「女の特攻だ」と励まして働かせた――という記録がも残っています。
Q 「一般の婦女子」への性暴力は防げたの?
A 当時の新聞によると、占領開始直後から「米兵が通行人の女性を拉致する事件が増加」という報道が見られます。慰安所の設置がかえって性暴力を助長したと指摘する専門家もいます。
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