「スパイ」とみなされ、終戦後も続いた惨劇 沖縄・久米島

Date: Category:速報 Views:2146 Comment:0

「山の兵隊」と恐れられた鹿山隊が潜んだ宇江城岳。現在は航空自衛隊久米島分屯基地が設置されている=沖縄県久米島町で2025年8月3日、喜屋武真之介撮影
「山の兵隊」と恐れられた鹿山隊が潜んだ宇江城岳。現在は航空自衛隊久米島分屯基地が設置されている=沖縄県久米島町で2025年8月3日、喜屋武真之介撮影

 日本の敗戦を告げる昭和天皇の「玉音放送」後も、沖縄本島の西約100キロに浮かぶ久米島では惨劇が続いた。1945年8月18日、住民に投降を呼びかけた男性と妻子が殺され、20日には朝鮮人男性の一家7人が惨殺された。うち5人は乳児を含む子どもだった。

 手を下したのは鹿山(かやま)正隊長が率いた日本軍部隊。日米両軍の地上戦となった沖縄では6月下旬に日本軍司令官の自決で組織的戦闘が終結したが、鹿山隊は投降せず、約30人の兵士が宇江城(うえぐすく)岳山中に身を潜めた。

 6月26日、島に米軍が上陸すると、鹿山隊は米軍と関わりを持った住民を次々と殺害した。米軍の依頼で降伏勧告状とみられる文書を届けにきた男性が隊長に処刑され、米軍に一時捕まった住民とその家族ら計9人も「スパイ」とみなされ、殺された。

宇江城岳
宇江城岳

 「日本軍の方が怖かった」「アメリカーと話したら、もう大変。すぐスパイ容疑にされてね」。久米島町史に住民の証言が残る。「山の兵隊」と恐れられた鹿山隊が降伏したのは9月7日。命を奪われた住民は20人に上った。【喜屋武真之介】

Comments

I want to comment

◎Welcome to participate in the discussion, please express your views and exchange your opinions here.