
「何でうちは普通の家庭じゃないんだろう」
京都府に住む60代の女性は、小さい頃からずっとそう感じてきた。
小学生だったある日の夜、月明かりが差し込んだ部屋で母に激怒した父が突然言い放った。
「(母を)殺すから、包丁を持ってこい」
逆らえば、何をされるか分からない。包丁を渡して布団に逃げた。
その後、父に起こされると警察が来ていた。部屋にあった電気釜には母の血がべったりと付いていたのを覚えている。
潜んだ戦争の影
記憶に残る父は常に怒りっぽく、自己中心的な人だった。定職につかず、平日の昼も家にいることが多かった。毎晩のように酒を飲み、深夜に帰宅する父を出迎えなければ殴られることもあった。
農家の5人兄弟の長男だった父は、19歳で陸軍特別幹部候補生に志願し、千葉県にあった第4航空教育隊に入隊。約1年後に終戦を迎えた。戻った実家は起業して裕福になり、弟が後を継いだ。
そんな家族を妬んだのだろうか。成功した経営者がテレビに映ると、父は汚い言葉でののしった。高級な服に身を包み、収入に見合わないようなぜいたくを好んだ。
女性や母は父の機嫌をうかがうことが日常の大部分を占めた。「子どもの頃をやり直せるなら、やり直したい」。今でもそう思っている。
父は、戦地での出来事を自ら話すことはなかった。だが、テレビで戦争のことが取り上げられると「軍国主義は…
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