
被爆資料。原爆の犠牲になった人たちが身に着けていた衣類や時計、熱線で溶けたガラス、炭化した弁当箱など、当事者に代わって被爆の惨状を伝える「モノ」たちのことだ。
被爆者は10万人を切り、平均年齢は86歳を超えた。被爆者がいない時代が迫る中、「無言の語り部」の重要性は増している。
その小さな半袖の上着を私(記者)が見たのは5月中旬、広島市の原爆資料館の一室だった。被爆資料を撮り続ける写真家、石内都さんの撮影に立ち会ったときのこと。横45センチ、縦37・5センチ。くすんだ青色で、右首から右肩にかけ、黒く変色していた。
「どんな子が着ていたのだろう」「どこで被爆し、どんな最期を迎えたのだろう」。想像が膨らんだ。それから1カ月後、同館地下、収蔵庫前の撮影スペースで改めて上着と向き合った。
手袋をした学芸員の下村優(まさる)さんが上着を慎重に撮影台に広げてくれた。左右にストロボを立て、真上から、表、裏、右首から肩にかけてのアップを撮影した。ゆがまないよう、ありのままの形を撮ることを意識した。約5分間で計14カット。1枚ずつ、ゆっくりシャッターを切った。
上着の持ち主は久保昭二さん、当時3歳。爆心地から約1・3キロの自宅の銭湯2階で被爆した。疎開先に戻る兄の朋行さんを窓から見送っている時、原爆がさく裂。右頭部から首、肩にかけて熱線を浴びて大やけどを負い、翌年5月に亡くなった。
昭二さんの遺品を管理していた親族が亡くなり、朋行さんの元に遺品が届いた。2022年11月、「大切に保管されていたようなので、広島市に寄贈したい」と資料館に託した。
資料館に収蔵されている被爆資料は約2万2000点。24年度は約50件、23年度は約60件の新たな寄贈があり、原爆投下から80年の25年度も8月13日時点で25件が寄せられた。そのうち約半数を写真が占め、他には死亡通知などの文書類、ガラス片やがれきなど。被爆者の高齢化に伴い、子や孫からの寄贈が増える傾向がある。
資料の収集を担当する学芸員の下村真理さんは「共通するのは遺品を役立ててほしいという思い。『安心しました』とおっしゃる方も多く、寄贈がひとつの区切りになっている面もあるのでは」と話す。【佐藤賢二郎】
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