「伝統校復活」を印象付けた。
21日の全国高校野球選手権大会準決勝で、公立校で唯一残った県岐阜商は日大三(西東京)に延長戦の末、2―4で敗れた。69年ぶりの決勝進出はならなかったが、地元で「県岐商」と親しまれる学校の復活の裏には何があったのか。
「普段から部活の枠を超えて…」
県岐阜商は昨年に学校創立120周年を迎え、野球部は戦前に春夏の甲子園で計4回の優勝を誇る。しかし、岐阜勢全体でも「5回目の優勝」には戦後届いていない。
岐阜県は県民の注目度が高い高校野球で日本一を目指そうと、2000年代前半に強化プロジェクトをスタートし、中学生の強化にも力を入れてきた。県の担当者から委託を受けた中学の指導者らが大会などを視察して選抜チームを編成し、合同練習を実施した。
担当者によると、当初は軟式のみだったが、18年ごろから硬式にも拡大したという。各地から集まった中学生は切磋琢磨(せっさたくま)するとともに、絆を深め、指導者同士の交流も促進された。
県岐阜商は今大会のベンチ入りメンバーのほとんどが岐阜県出身で、その大半が選抜チームを経験したという。1番打者の駒瀬陽尊(きよたか)選手(3年)も中学時代に選ばれており、「高校入学当初から顔見知りが多くて仲が良く、声を掛け合って練習してきた」と効果を口にする。
また、校内の生徒同士でも互いに高め合う気風がある。
県岐阜商は「商業教育・部活動・進路達成日本一」を掲げており、今年の全国高校総体(インターハイ)には陸上競技、バドミントン部などが出場した。簿記、EDP(情報処理)部も全国大会で優勝した。軽快な音色で甲子園の応援をけん引した吹奏楽部もハイレベルだ。
ソフトテニスのインターハイに出場し、準決勝はアルプススタンドで野球部の応援をした大牧弘尚さんは「普段から部活の枠を超えて高め合っている」と語る。【黒詰拓也】
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