名古屋市中区の百貨店で5月、企画展「松坂屋名古屋店の歩み~戦火を乗り越えて~」が開かれた。展示品の中に、海外の駐在武官を務めたエリート軍人、前田直(なおき)の遺品もあった。
直のトランクに入っていた包装紙で、松の模様とともに「債券買って総進軍」「資源は国力、活かすは協力」など戦意高揚の言葉が記されている。
旧ソ連日本大使館などで海軍駐在武官などを務めた直は、旧ソ連の収容所で8年の抑留生活を送った後に復員。その後の生活を支えたのは、妻のふみだった。
ふみは、直が復員する1年前の1952年、キリスト教の洗礼を受けていた。
<宣教師がかけるレコードの賛美歌を障子越しに好んで聴いていた>。教会の記念誌には、ふみの姿がそう描写されている。
「捕虜となった夫の身を案じて不安の中で過ごすふみにとって、寄り添い、励まし、共に祈る宣教師の存在は大きな心の支えだったのではないか」
直の甥(おい)にあたる博さん(95)の長女で遺品を企画展に寄贈した加藤順子さん(67)は、そう想像する。
ふみの甥、香取孝雄さん(83)は小学生の頃から大学生まで接してきた直とふみについて、「仲むつまじい夫婦だった」と振り返る。直は「エリート軍人だったが、戦争のことは一切語らなかった」という。
日本が戦争の焼け野原から復興した象徴でもある東京オリンピックが開催された64年、直はこの世を去った。生前に本人が望んだキリスト教による葬儀だったという。
この3年後、ふみも後を追うようにこの世を去った。56歳だった。
専門家が研究
父の願いから、直の半生をたどることになった加藤さん。この3年半ほどで、新たに直の遺品が見つかり、「何かメッセージを発しているのではないか」と考え続けた。
そして、遺品をゆかりの地に戻すことにした。ロシア語の書籍を早稲田大学中央図書館(東京)、アルバムやトランクケースを大和ミュージアム(広島)などに寄贈した。
早稲田大学演劇博物館では研究チームが設立された。8月13日には、メンバー2人が名古屋市内の加藤さん宅を訪れた。
直は1932~34年にモスクワやレニングラードで演劇を鑑賞したと、日記に書き留めている。
日露の文化交流に詳しい斎藤慶子・愛知県立大准教授は「あの年代に旧ソ連に滞在している日本人は珍しい。演出に関するスケッチや舞台装置が詳細に記述され、歴史的資料として価値が高い」と話す。
直は戦争について語らなかった。音楽や演劇などの芸術を通した戦争の記憶について研究する森谷理沙・京都大特定准教授は「シベリアの抑留者は筆舌に尽くしがたい経験をしているが、何も語りたがらない人の方が圧倒的に多い」とする。
直の日記に着目し、「その時代を生きた個人の視点『エゴ・ドキュメント』の側面から、芸術を通じた戦争の新たな姿を浮かび上がらせたい」と意気込む。
戦前、戦中は海外でインテリジェンスとして活躍したエリート軍人。戦後は捕虜としてシベリアで抑留生活を余儀なくされ、復員後は妻と静かな生活を送った。晩年はキリスト教の信仰に触れ、68歳の生涯を閉じた。
加藤さんによって明らかになった直の半生。今後は研究者が遺品を調べることで、新たな史実が分かるかもしれない。加藤さんは「直の遺品が戦争の記憶に関する研究や若い世代に戦争を知るきっかけとして役立ってほしい」と願う。【真貝恒平】
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