
数年前、私のイベントにろう者の方が会いに来てくれたことがあった。彼女は手帳を開いて私へのメッセージをたくさん見せてくれたのだが、私は「ありがとう」という手話しか分からなかった。その日の終わりに、どうして私はこんなにも手話を知らないのだろうかと思った。それから手話を軽はずみに勉強し始めたが、聴覚に障がいを持つ方と出会うことがあまりにもないことに驚き、使う場面が全くない日常に気付かされた。
『みんなが手話で話した島』(ノーラ・エレン・グロース著、佐野正信訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、1188円)は1991年に築地書館から刊行された本の文庫版だが、私が読んだのが最近で、あまりにも名著だったので紹介したいと新聞社にお願いした。
北米にあるマーサズ・ヴィンヤード島には遺伝によって耳の不自由な人が数多くいたが、島の人々は聞こえる聞こえないに関わりなく誰もが普通に手話を使って話していた。つまりこの島では「手話」が「障がい者の特別な言語」ではなく、共同体全体の言語であったために「ハンディキャップ」という概念が生まれていなかった。ある人は島で暮らしていた人物についてこんなふうに語った。彼らは腕のいい漁師だった。耳が聞こえなかったか? ああ、そういえばそうだったね――。この島では、手話という言語をみんなが使えたことで聴覚障がい者を特別視して切り離す構造にならなかった。
「ハンディキャップ」とは何だろうか。…
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