23日に熊本県合志市の国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」で開かれた志村康(やすし)さん(5月に92歳で死去)をしのぶ会。親交のあった人たちが多く会場を訪れ、志村さんとの思い出を語った。会でマイクを前にした人たちは、周囲への優しさにもあふれた人柄をしのんだ。
志村さんは、ハンセン病国家賠償請求訴訟の原告団の中心となって闘う一方で、恵楓園入所者自治会の会長として、ハンセン病の知識を広く伝える活動に熱心に取り組んだ。
自治会機関誌「菊池野」の杉野桂子編集長は「これまで何回も入院し、その度に1~2週間で退院した志村さんを私たちは不死身だと思っていた。このように去っていかれたことに、大きなショックを受けた」と語る。
杉野さんが入院中に見舞いに行くと、志村さんはぐっと拳を突き上げたという。「『菊池野の火を絶やしてはいかん』が志村さんの口癖だった。憲法や人権問題に闘志を燃やす一方、文学や音楽を愛し、盆栽や草花を培う優しい人だった」と悼んだ。
自治会副会長として志村さんとともに活動した現会長代行の太田明さん(81)は「どんなにつらくても死んではいかん。人生は生きていることに価値がある」という志村さんの生前の言葉を紹介した。「老体にもめげず、一緒に走り続けてくれたことを本当に感謝します」と語った。
しのぶ会には潮谷義子元熊本県知事や、園内にある「かえでの森こども園」の松崎景子園長らも参列した。こども園の園歌は志村さんが作詞しており、園児たちが歌う様子が放映された。また、志村さんの活動を紹介する追悼コーナーも設けられた。【中里顕、客員編集委員・江刺正嘉】
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