昭和の町並みをゴトゴトと 巨大な路面貨物列車「若松市営電気軌道」

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貨物列車のすぐそばでも通行可能な中川通り=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影
貨物列車のすぐそばでも通行可能な中川通り=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影

 ネットで調べ物の最中に、それとは無関係な文言が目に入りました。「全国でもここだけ、貴重な映像!“路面貨物列車”」。あれ、廃止の数日前に撮影した記憶があるぞ! 慌てて、昔のフィルムを発掘しました。ありましたよ、あの巨体が。まさか、50年を経て日の目を見ることになろうとは……。【中村琢磨】

浜町を後にする路面貨物列車。中川通りに合流後は、市街地を駆け抜ける独特な光景が繰り広げられた=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影
浜町を後にする路面貨物列車。中川通りに合流後は、市街地を駆け抜ける独特な光景が繰り広げられた=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影

 現在の北九州市にあった若松市営軌道は1936(昭和11)年に開業しました。63年に5市(門司、小倉、戸畑、八幡、若松)合併で北九州市営となり、75年10月に役目を終えています。

 街のど真ん中を、ゆっくりと我が物顔で走る姿は、何とも異様な光景でした。なんて、偉そうに語っていますが、実情は違います。

上は北九州市のシンボルマーク。五つの花弁は対等合併した門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市を表す=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影
上は北九州市のシンボルマーク。五つの花弁は対等合併した門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市を表す=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影

 失礼を承知で言えば、当時は「あんな“汚い”ものを撮って、何の意味があるのか」と考える人がほとんどだったと思います。かくいう私もその一人。さらに“汚い”蒸気機関車(不適切な表現をおわびします)は喜々として撮影していたのに、路面貨物は露ほども思いませんでした。

 でも、なくなるというから、ちょこちょこっと撮っただけです。市街地を走る姿を撮影したのは、列車1本だけ。「あれっ、何カットかあるじゃないか!」ですって? そう、貨物列車が信号待ちの間に「追いつけ、追い越せ、引っこ抜け!」です。

浜町軌道車庫から出動準備=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影
浜町軌道車庫から出動準備=北九州市若松区で1975年10月27日、中村琢磨撮影

 当時の私は今とは違って、走ることができたのですよ。すぐにその場を退散したので、フィルム1本も撮り切りませんでしたけどね。列車が写っていない街並みを撮影しておけばよかったのに……と悔やんでも後の祭りでした。

 鉄や石炭産業が盛んだった時代には、北九州も筑豊も、ずいぶん勢いがありました。えっ、人間の気性も荒かった? さあ、コメントする立場にはございません。

撮影機材

Konica ⅢA ヘキサノン50ミリF1.8付き

「Konica ⅢA」ヘキサノン50ミリF1.8付き。1958(昭和33)年発売。48ミリF2.0のレンズが付いたものもあった=中村琢磨撮影
「Konica ⅢA」ヘキサノン50ミリF1.8付き。1958(昭和33)年発売。48ミリF2.0のレンズが付いたものもあった=中村琢磨撮影

 1958(昭和33)年発売。48ミリF2.0のレンズが付いたものもありました。2023年8月にこの連載の「SLのある風景」でも登場しました。

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