戦時中の朝鮮人の動員をテーマにした研究集会が23日、青森市で開かれた。歴史研究者の竹内康人さんが、北方の防衛拠点だった旧海軍大湊警備府(現在の青森県むつ市)の施設部に軍属として約4500人が連行され、うち約1400人が死亡していたとする調査結果を報告した。
集会は、戦後補償問題に取り組む全国の市民団体などでつくる「強制動員真相究明ネットワーク」(事務局・神戸市)の主催。
戦時中、日本は植民地支配していた朝鮮半島から100万人以上を動員して軍務、労務に従事させた。
竹内さんによると、大湊施設部から北海道の海軍施設へ送られた人を含めると青森関連では2万人以上が動員されたという。
竹内さんは日本政府が戦後、韓国政府に渡した「被徴用者死亡者連名簿」や個人ごとにつくられた「海軍軍属身上調査表」などを分析。軍務動員された約4500人のうち3割以上にあたる約1400人が死亡していたことが分かった。死因は大半が「戦死」と記され、「魚雷」が462人、終戦後、帰郷途中で京都・舞鶴湾で爆沈した「浮島丸」の乗船者は406人いた。
身上調査表には、連行された人の出身地や生年月日、連行時期、死因などが書かれている。多くが若者で、未払い賃金が記されているものもある。
竹内さんは「個表を見ていくと、一人一人の境遇が浮かぶ。これだけ大勢の若者が集団で強制的に動員されており、死亡率の高さは過酷な状況の表れ」と話す。ただし、詳しい死亡状況などは書かれておらず、こうした記録が残っていない人も多いとみられる。
日本政府は1965年の日韓請求権協定で、「元徴用工への損害賠償を含む問題は解決済み」との立場だ。
竹内さんは「どんな状況で家族が亡くなったのか分からず、遺骨も返還されていない人も多い。遺族にとっては今も問題は解決していない」と指摘。「政府は真相究明、遺骨返還などを通した尊厳の回復、記憶の継承を誠意をもって行うべきだ」と話している。【上東麻子】
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