今年の夏は異常に暑い。さすがに日傘を差している。日傘に入ると、道に映る影は日傘が占め、自分は不在になる。直射日光を避けている証しだろう。
不在を巡って劇は生じる。ベケットの「ゴドーを待ちながら」ではゴドーは来ない。ドーデの「アルルの女」でアルルの女はいない。旧約聖書では大風が吹いても、そのあと地震が起きても、地震のあと火事になっても、神は現れない。火の後、静かな細い声が聞こえた(ヘブライ語の聖書では、小さな沈黙の声)と書いてあるだけである。
金森穣振り付けのNoismによる「アルルの女」と「ボレロ」を見た(7月11日、さいたま芸術劇場)。「アルルの女」の原作では、主人公のフレデリが、ふと見かけたアルルの女に夢中になり、母の反対に遭い、婚約者が自ら身をひく中で、アルルの女が他の男と駆け落ちすることを聞いて嫉妬に狂い、自死する。舞台ではそこに金森の解釈が加わる。
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