
大阪・関西万博の開幕直前、展示物が届かず、パレスチナ側が「イスラエルの軍事占領」が遅配の理由とする説明書きをパビリオン(PV)内に設置したことについて、日本国際博覧会協会(万博協会)が差し替えや変更を求めていたことが判明した。歴史をたどると55年前の大阪万博でも、原爆を題材にした展示が「生々しすぎる」として、修正を迫られる事態が起きていた。【矢追健介】
開幕の約1カ月前にクレーム
1970年大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。グラフィックデザイナーの故木村恒久さんが「矛盾の壁」と名付けたフォトモンタージュ(複数のネガや画像を組み合わせる手法)作品を手がけた。
約3メートル×約30メートルの向かい合う壁面などで構成される。武蔵野美術大の木田拓也教授によると、木村さんは戦争、破壊、平和という三つのテーマを構想。原爆のキノコ雲や被爆直後の広島・長崎の記録写真などを使って、人類の未来は核兵器による人類消滅の危機と背中合わせだという現実を示すつもりだった。
しかし開幕の約1カ月前、各省の事務次官が出席する万国博推進本部会議でクレームがついた。「二十数年もたって、今さら原爆の悲惨さを見せることはない」「あまりにもどぎつすぎる」。開幕直前に作り直しを迫られ、最終的には赤や青の明るい色彩が強調され、まったく異なる抽象的な作品になった。
木村さんの友人だった広告写真家の故玉井瑞夫さんも制作に参加した。玉井さんは自身の手記に、…
Comments