「自分も苦い経験があります」
神奈川県の慶応高校野球部の前監督、上田誠さんは、しみじみと自身の過去を振り返った。部内にはびこっていた理不尽な上下関係を見直す改革を進め、2023年夏の甲子園優勝の土壌を築いたといわれる名将だ。
念頭にあったのは、23日に閉幕した第107回全国高校野球選手権大会で、部内の暴力問題を理由に途中で出場辞退した広島代表の広陵高校の一件だった。
「修行」の果てに
「まるで修行僧」
大学の野球部時代、上田さんは監督や上級生から小突かれ、怒鳴られることが日常というパワハラじみた環境をそう表現した。
「忍耐強くなることが目的になってしまっていて、それを乗り越えてもうまくなるわけではありません」
そう当時を振り返る。
慶応の監督に就任したのは1991年。自身も体験した理不尽さから、部員に「上田さん」と呼んでもらい、下級生に雑用を押しつけることも禁じた。
上下関係を絶対視する旧弊を取り除き、個々の部員に判断力を培ってもらうためだ。
理不尽な上下関係が強いほど、選手は指示に従うことを優先し、自ら考える力をそがれる。
「上司からの不正や理不尽な指示に、何も考えないで従う人間を育てるのはナンセンスでしょう」
だが、見方を変えれば上級生にとって厳しい上下関係は「利権」ともいえる。さんざん耐え抜いてきた下級生のなかには、やっとの思いで上級生になるのにうまみがない、「やられ損」と感じる部員もいた。
上田さんは、部員と対話を重ねた。
徐々に部員の理解を得られるようになった。
だが、野球に関する上田さんの指導にまで改革が及んだとは言い難かった。
まさかの叱責
野球のプレーに関しては、ミスをした選手を怒鳴り散らし、スパルタ式の指導で恐れられた。
就任1年目の合宿では厳しい練習に反発した部員から「監督不信任案」を突きつけられたこともある。
勝利への執着が厳しさの背景にあった。
ある大会でのこと。
点差が開いた場面で、上田さんはバッターボックスの打者にスクイズするよう指示した。
「早くコールド勝ちに持ち込み、投手を休ませよう」
勝利を意識した当然の采配だと思っていた。
コールド勝ちを収めたあと、試合を見に来てくれた当時の慶応大野球部の前田祐吉監督に「戦勝報告」に向かった。
さぞかし褒めてくれるだろうと、用意していた贈答用のシュークリームを手に意気揚々と向かったものの、かけられたのはねぎらいの言葉でなく、厳しい叱責の言葉だった。
「お前は高校野球に毒されている」
前田さんが指摘したのは、行き過ぎた勝利至上主義だけではなかった。
試合と無関係な場面での全力疾走や、帽子を取って話を聞くといった儀礼的行為など、形を重んじるあまり、選手を縛りすぎていると感じたようだ。
「アメリカで本場の野球を見てこい」
前田さんのこの一言がきっかけで上田さんは98年、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)への留学を決意する。
米国で受けた衝撃
UCLAではまずホワイトボードで戦術を確認し、狙いや目的を明記したマニュアルを理解したうえで練習に臨む。
理論を学び、実践するプロセスが徹底されていた。
自分が日本で教えているような、走り込みや反復練習を重ねるものとは全く違った。
さらに驚いたのは監督と選手とのコミュニケーションだった。
「昨日100球投げたから今日は無理です」
選手自ら申告し、それを監督が尊重していた。
そして監督は選手らに、こう告げていた。
「渡り鳥のように支え合いなさい」
V字形の隊列の先頭の鳥が最も多くのエネルギーを消費するため、先頭を交代しながら長距離飛行を群れで成し遂げる渡り鳥になぞらえた。
上田さんは「勝つこと以上に人間性を重んじる指導」に触れたことが指導者としての本当の転機となった。
広陵問題が投げかけるもの
笹川スポーツ財団の調査では、年1回以上野球をする人は23年で174万人だった。01年より100万人以上減少した結果となった。
少子化以上のペースで競技人口が減る中、指導者の価値観のアップデートは急務だ。
「今は指導者の価値観が変わりつつある過渡期ですが、多くの指導者は実績に縛られてしまい、指導法を変えられずにいます」
上田さんは最後に、今回の広陵の大会辞退に話を戻して、こう語った。
「今回の事案を一過性で終わらせるのか、高校野球の体質改善の契機とするのか。そこが問われているのだと思います」【隈元悠太】
うえだ・まこと
1991~2015年、慶応高校野球部監督。05年春には45年ぶりに選抜甲子園出場を果たし、春夏計4回、チームを甲子園に導いた。
慶応の監督を退いてからは、スポーツ障害の予防活動や普及、啓発のための神奈川学童野球指導者セミナーを主催。現在は独立リーグ、四国アイランドリーグplusの「香川オリーブガイナーズ」の球団社長。
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