
政治の流動化が続く。参院選で示されたのは、自民、公明、立憲民主、共産といった旧来型の政党の衰退と、国民民主、参政といった新興政党の急伸だ。歴代首相のオーラルヒストリーを手がけてきた政治学者、御厨貴氏は「自民政治の終幕」をどう見るか。
<主な内容>
・「族議員」はこうして生まれた
・田中角栄が仕掛けた「国対」
・「勝てば官軍」
・限界迎えた「数の力」
・「飛び散った民意」の受け皿
――戦後のほとんどの時期で政権を担った自民党が、先の衆院選に続き、参院選で敗北しました。
自民党が、霞が関の官僚組織と作り上げた統治システムが、まさに今、終幕を迎えたと言えるでしょう。
自民党は1955年、緒方竹虎が総裁を務めていた自由党と、当時首相だった鳩山一郎の日本民主党が「保守合同」して結党されました。
中心になって動いたのは、犬猿の仲といわれた、大野伴睦(自由党)と三木武吉(日本民主党)です。
背景には、社会党が政権を目指して、先に左右両派を統一したことがあります。
共産主義ほどではないが、社会党政権ができることを危惧したためです。
結党された55年、初代幹事長だった岸信介は、左右両派統一後の社会党の初代書記長だった浅沼稲次郎に、民主的な議会政治のルール作りを呼びかけました。
異様に実力がある自民党議員と、大蔵省(現財務省)など、力のある官庁が接近して多くの問題を解決していきました。
「族議員」と呼ばれる人も多く誕生しました。
国会に法案が提出された時には、全てが決まっている。
野党が抵抗しても、騒ぎが過ぎれば解決していく。これが、自民党型の統治システムです。
ペリー来航のような慌てぶり
――自民党型の政治と、国民が求める感覚にズレを感じます。
自民党型の政治は、他に代わるシステムがなく、惰性で続いてきました。
「政治とカネ」の問題も、さまざまな課題について小手先の対応ながら、何とか乗り越えてこられたことで、自民党は甘く見てきました。
ところが、何となく許してきた国民も今、物価高による生活の貧困を皮膚感覚で感じています。
参院選の争点も、消費税減税や給付金、コメ問題、外国人に関する政策と、目まぐるしく変わりました。
トランプ関税に対して石破茂内閣は決着はさせたものの、当初の慌てぶりは江戸末期のペリー来航時のようでした。
目まぐるしい社会変化に、自民党がついて行けていないことがはっきりしました。
政権維持だけを考えていては、国民からそっぽを向かれます。
この国にそんな余裕はありません。
自公連立政権の崩壊は、自然の流れといえます。
田中角栄が野党に仕掛けた「国対」
――自民党が権力を誇示してきた「55年体制」がなぜ続いたのでしょう?
55年体制の時、自民党は社会党と対立する「見せ場」を作らないといけませんでした。
それを担ったのは、田中角栄が野党に対する「根回し」と称して、本格化させた国会対策(国対)です。
社会党の左派と田中派が、裏で「握る(合意する)」こともありました。
私は、首相も務めた竹下登氏に、なぜ、そのようなことが実現できたのかを尋ねてみました。
「共通の戦後体験があると、党派を超えて仲が良いんだ」と言っていました。
自民党は2度下野しましたが、それ以外では、衆院で多数を維持し、国対で野党と協議しながら政権運営をしてきました。
しかし、今の自民党は結党以来、経験したことがない少数与党政権です。
内閣不信任案が、いつ可決されても不思議でない緊張感は初めてのことです。
弱体化始まった「平成期」
――弱体化はいつからでしょうか。
平成期だと思います。中曽根康弘氏は後継候補について、佐藤栄作と同じように1人に絞らず3人を決めました。
「安(安倍晋太郎氏)・竹(竹下氏)・宮(宮沢喜一氏)」です。
ところが、リクルート事件や東京佐川急便事件など、内閣が一つ倒れるような大きなスキャンダルが相次ぎ、誰が次の首相になるかの予測可能性がない、不可測な世界に入りました。
平成期には、小泉純一郎氏や安倍晋三氏がいたではないか、と言われるかもしれない。
だが、自民党創成期に再編された、かつての5大派閥から順番に総裁を輩出していた時代と違い、小泉、安倍両氏とも清和政策研究会です。
一つの派閥に権力が集中し、この時点で変質は起きていました。
派閥好きだった岸田氏の皮肉
――派閥の解消も大きかったですね。
実は、自民党は初代総裁を選べませんでした。自由党と日本民主党からそれぞれ2人長老が出て、これが総裁代行委員になりました。
初代総裁が決められぬほど、保守2党間の対立は激しかったと言えます。
派閥は、いつの時代も、党を動かす運動体でした。
ただ、政務調査会などのような党の正式な機構と違います。国民らには表に見えにくい組織で、「カネ」の問題などがつきまといました。
派閥解消を決めた岸田文雄氏は、党最古の歴史を持つ宏池会出身で、派閥が好きだったはずです。
その岸田氏が、自らの権力を維持するためだったとはいえ、派閥活動の幕引きを図り、党を機能不全に陥らせてしまったことは皮肉に感じます。
安倍氏がかかげた「勝てば官軍」
――「政治の劣化」や「議員の小粒化」が指摘されて久しいです。
一つの選挙区から複数候補が当選した「中選挙区制」では、金権政治を生むなどの問題は確かにありました。
それでも、党派は違っても、問題解決のために、同じ選挙区の議員同士が考え、協力する政治の「ゆとり」のようなものがありました。
1994年の平成の政治改革で、衆院は1選挙区1人しか当選しない「小選挙区制」を中心とした制度に変わりました。
私は、この制度について、安倍晋三氏に尋ねたことがあります。
すると、安倍氏は「4期生までは、選挙で勝ち抜くことだけを考えろ。政策…
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