
被爆80年の夏、広島市長が平和記念式典で読み上げた平和宣言は、核抑止力に依存し、軍備増強が進む世界への危機感を示し、日本政府には国際社会の分断解消に主導的役割を求めた。開催方式を変更した式典に集まった国・地域は過去最多の120に上る。対話を促すメッセージは届いたのか。【根本佳奈、武市智菜実、宇城昇】
政府と一線画する主張もしてきた
「『自国を守るためには、核兵器の保有もやむを得ない』という考え方が強まりつつある。こうした事態は、国際社会が過去の悲惨な歴史から得た教訓を無にする」
広島市の松井一実市長は平和宣言で、ロシアによるウクライナ侵攻や中東情勢の混迷を背景に加速する軍拡の動きを批判した。自国優先主義の広がりや国際社会の分断にも触れ、対話と議論を促進し、核抑止力に頼る政策の転換を訴えた。
広島市の平和記念式典は1947年から続き(50年は朝鮮戦争のため中止)、歴代広島市長の平和宣言には、国内外の情勢が反映される。特定の国を名指しで批判した年があり、日本政府と一線を画する主張もしてきた。
冷戦下で核戦争の危機感が高まっていた74年、山田節男市長(当時)は核保有国を名指しで批判し、「核兵器を速やかに廃絶せよ」と求めた。2002年には秋葉忠利市長(同)が、同時多発テロ後の米国の姿勢を「世界の運命を決定する権利を与えられているわけではない」と批判した。
11年に就任した松井市長は近年…
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