兄の夏を取り返す――。夏の甲子園大会第2日の第2試合に出場した宮崎商の水谷友哉主将(3年)は、4年前に新型コロナウイルスの集団感染で夏の甲子園の土を踏めなかった兄圭佑さん(22)=日本経済大4年=の思いを胸に開星(島根)との初戦に挑み、攻守で躍動した。
水谷選手は4歳上の兄を追うように野球人生を歩んできた。幼稚園から野球教室に通い始め、小学1年で圭佑さんと同じソフトボールチームに入った。中学も同じ軟式野球部に入部。中学1年だった2021年春、圭佑さんは宮崎商の一塁手としてセンバツに出場した。
天理(奈良)との初戦、アルプススタンドから声援を送った水谷選手は、スタンドからの景色や球場の大きさに圧倒された。「下(グラウンド)はもっと感動するぞ」。試合に敗れた後、圭佑さんがそう教えてくれた。「自分もこの舞台に絶対に立ちたい」と甲子園への憧れは一層強くなった。
その年の夏の宮崎大会も宮崎商は順当に勝ち上がり、同校として52年ぶりとなる春夏連続の甲子園切符をつかんだ。その直後、チームを悲劇が襲う。智弁和歌山との初戦を待つ間に、選手のコロナ感染が次々と判明し、大会史上初となる不戦敗を喫した。
夢を絶たれ「悔しい気持ちでいっぱいだった」と圭佑さん。水谷選手は「宮商に行って俺が夏を取り返してやる」と兄に誓い、気持ちを奮い立たせて練習に打ち込んだ。
23年に宮崎商に進学し、2年生だった昨夏、チームは3年ぶりに甲子園に出場した。だが水谷選手は宮崎大会前に膝をけがし、グラウンドに立てなかった。チームは初戦で敗れ「来年こそは」と雪辱を誓った。
新チーム発足後は主将を任され、打っては4番、守っては捕手とチームの要に成長。今夏の宮崎大会では九回に決勝の勝ち越し適時打を放つなど活躍し、2年連続の甲子園出場の立役者になった。
この日、兄との約束通り甲子園の土を踏んだ水谷選手は、土壇場の九回に同点適時打を放つなど3安打と活躍し、守備では2投手を好リードしてもり立てた。チームは延長十回サヨナラ負けを喫したが、夢舞台で全力を出し切った。
三塁側アルプススタンドから弟の姿を見守った圭佑さんは「自分が行けなかった夏の甲子園に弟が出ていて、自分ごとのようにとてもうれしかった」と感慨深げだった。試合前夜には弟に電話で「思い切ってやってこい」とエールを送ったという。
水谷選手は試合後、「兄がいたから今の自分がある。『甲子園はすごいところだな』と話したい。一球で流れが変わり、球場の雰囲気や景色が素晴らしかった。二度と入ることができないこの場所で、このメンバーと野球ができてよかった」と笑顔を見せた。【塩月由香、岡田愛梨】
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